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[670] 進化論への誤解 投稿者:内村 投稿日:2004/02/04(Wed) 18:43

こちらに移してお答えします。
しつこいようですが、まずお断りしておきたいことがあります。私は協会の進化論に対する誤った見方を指摘したいとは思いますが、ピクセルさんの信仰を変えようとはさらさら考えていません。また、ピクセルさんがJWでいてこられた理由に、進化論が重要な役割を果たしているとも思っていません。

>  それが“既成事実”なのかどうかということです。
>  それでは、科学者の間でも進化論に関して“自説”をといているのはなぜですか?
>  あなたが進化論を“事実”と呼んで、今は“仮説”になるのですか?

まず誤解を解きたいと思います。
私は「進化論は、進化という事実を問題にした仮説である」とは言いましたが、「進化論が事実である」とは一度も述べておりません。

あなたも協会の論法も、科学者が「“自説のぶつけ合い”をして」いることを理由にして、「進化論は事実でない」という主張をよくします。これは喩えるならば、ある患者の治療方針をめぐって外科医や内科医などの各科のチームが議論をたたかわせてなかなか意見の一致を見ないのを見て、「患者は病気ではない」というようなものです。医師たちの意見が一致しないのは治療の内容であって、患者が病気であるという事実について疑っているわけではありません。

同様に、科学者も進化がどのように起きたのかということについては議論をたたかわせていますが、進化という事実について疑っているわけではないのです。「科学者が“自説のぶつけ合い”をしているから進化論は事実ではない」という意見を当の科学者たちが聞いたらビックリしてしまいます。

さらに別の誤解も解きたいと思います。
進化論を研究している人は、神の非存在を証明しようなどとはまったく考えていません。少なくとも進化論を使ってそれを証明しようとは考えていません。科学としての進化論はどこまでも事実を問題にしているからです。進化論者が即無神論者なのではまったくありません。キリスト教徒の科学者はたくさんいます。

進化論を研究している人は、生命が偶然に生じたことを示したくて進化を研究しているわけではありません。進化を研究することと、生命の起源を研究することは全然別のことです。

>  初耳です。協会のどの本にあるのでしょうか?ビッグバン宇宙論は宇宙が最初に出来る際、膨大なエネルギーが必要であるとの創世記1:1を物語る際に利用されていますが、ビッグバン宇宙誕生論は協会の宇宙誕生に関す考え方とは相反しています。まず最初に“エネルギーありき”という見方を支持する点で、ビッグバン説を用いているに過ぎません。

「まず最初に“エネルギーありき”という見方を支持する点で、ビッグバン説を用いている」が、「ビッグバン宇宙誕生論は協会の宇宙誕生に関す考え方とは相反して」いるのですか?おっしゃることがわかりません。

『創造者』の本78頁の「どう結論されますか」の、宇宙に「始まりがある」とする立場はビッグバン宇宙論を支持してはいないのですか?「宇宙に始まりがあるが、ビッグバン宇宙論は支持しない」というのが私には理解できないのですが…。

>  ニュートン力学、相対性理論と並べるほど、進化論の仮説は“信頼性”に耐えられるのでしょうか?
>  どうしてあなたは“進化論”と“ニュートン物理学”を同列におくのですか?話しの方向性がつかめなくなります。

進化が事実だと合理的に考えられるに足るだけの"信頼性"はもっていると思いますけど。少なくとも「ニュートン力学、相対性理論と並べ」られる程度には。

>  いつから“神の概念”を分けたのですか?都合がいいですね。あなたが2世なら、私の言う“神”が何を指しているのか理解していたと思いますが…。
>  あなたは神をどの様に定義づけるかはあなた次第です。ですが今論じているのは、“進化論”に対するものですから明らかに“創造主”です。

あなたがホーキングの話を持ち出されたことから私はそれにお答えしたまでです。ホーキングの考える神がJWの神概念に縛られる必要はないでしょう。だから私は物理学者の言う神と断ったのですが・・・。

>  それは“誤解”です。すでに存在する“自然科学”“物理科学”等は明らかに科学です。宗教ではありません。

あなたは、「学校で進化論の授業を受けても、創造論を信じる人がいるくらいですから。そういった視点をもって、“りっぱな科学”と言っても誤りありません。」とおっしゃっています。創造論は「信じる」ものであり、その創造論も科学であるというのであれば、あなたにとって科学とは信じるものになっていることをあなた自身が示しています。

> それは未だ“完全なる解答”を得られていない“進化論”を科学的と主張するあなたにも同じ事が言えるのではないでしょうか。

先回私が示したポパーの科学論から、「完全なる解答」をそもそも否定しているのが今日の科学者の大半の科学論であることはご理解いただけたでしょうか?そして、それを理解していれば、上のような言葉もでてこないことには同意していただけるでしょうか?

>  しかし、科学者が自分の仮説を信じ、それを証明するために研究する場合、事実上“宗教的”と言えるかもしれません。そしてそれが、“聖書の教えを否定する理論”を証明しようとする場合、“宗教”と私は見なします。

科学者が仮説を立てる際、時に宗教的なまでの個人的な信念や信仰が入り込み、インスピレーションに影響を与えたり役立ったりすることは当然あります。しかし、それを科学理論として打ち立てる際には、科学の世界で決められたルールに従わなければなりません。そのひとつが既に触れたポパーの「反証可能性」です。科学理論はその篩にかけられ得るようなものでなければならず、他者による追試ができるようなものでなければなりません。その意味で根本的に思想やイデオロギーから自由でなければなりません。ですから、ある科学者が仮に個人的な信仰で仮説を打ち立てても、それが上のルールを守っていないものである場合、その仮説の正しさはいつまでたっても証明できないことになります。逆に、ルールを守った仮説であれば、それが仮にどんな信仰を起源にしていようとも、その信仰とはまったく関係ない他者による追試で仮説の正しさがテストされ、正しければ生き残り、そうでなければ淘汰されます。いずれも信仰とはまったく関係なしに。それだけのことです。

>  “進化論”は私達の生活、人間社会に応用されていますか?残念ながら“検証の余地あり”と言ったところですね。相変わらず科学者同士、“自説のぶつけ合い”をしています。

進化論は思いっきり「私達の生活、人間社会に応用されています」よ。それを顕著に示す名前の学問は「進化心理学」でしょう。人は様々な顔の中からあるものを「美人」と表現し、あるものを「醜い」と表現します。顔の造形がなぜ「美醜」という価値的な指標を含んでしまうのでしょうか。顔の造形は本来、本人の責任ではないはずですが、明らかに現実には差別が存在します。それはなぜか、そのメカニズムは何か、差別を解消するにはどうすればいいのか、そうしたことを研究するのに進化心理学は役立っています。

また、数学や経済学で使われている「ゲーム理論」という有名な戦略的意思決定理論があります。この理論も「進化に安定的な戦略」と言われる自然界にみられる一定の収束のルールと関係があることがわかっています。また、ウィルスがワクチンに耐性を持つ仕組みを研究するのにも欠かせません。進化論は私たち人間社会にかなり大きな影響をすでに及ぼしているのです。「自説のぶつけ合い」については上で述べたとおりですので繰り返しません。

最後に。
私がした質問に答えていただいたので、それに私もお答えしました。私はピクセルさん個人を攻撃する意図はまったくありません。そうする必要も意欲も私にはありません。攻撃されたともしお感じになったとすれば、それはピクセルさんが「進化論は間違っている」というご意見を理屈としてではなく、信仰のようにしてお持ちになっているからかもしれません。もう必要なことは出たと思いますので、私の書き込みもおそらくこれが最後になると思います。進化論への誤解が解ければ幸いです。


[678] 紹介 投稿者:ZEN 投稿日:2004/02/05(Thu) 12:24

ALL>

面白いので読んで見てください(特にvol.7〜11の天動説の教訓の話、
そしてvol.1〜6)。

http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm3/bn.htm


[683] Re: 紹介 投稿者:内村 投稿日:2004/02/06(Fri) 01:39

> 面白いので読んで見てください(特にvol.7〜11の天動説の教訓の話、
> そしてvol.1〜6)。
>
> http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm3/bn.htm

ちょっと見てみたのですが、こちらのメルマガを紹介されたのは、
科学がメタファーであるということを強調することで、「科学も
ひとつの考え方だ」という相対化を図ることが狙いなのでしょうか?


[685] Re^2:紹介 投稿者:ZEN 投稿日:2004/02/06(Fri) 09:19

内村さん>

> ちょっと見てみたのですが、こちらのメルマガを紹介されたのは、
> 科学がメタファーであるということを強調することで、「科学も
> ひとつの考え方だ」という相対化を図ることが狙いなのでしょうか?

端的に言えばそうなります。
時間が許せば残りのVOL.と
http://isweb23.infoseek.co.jp/school/mediax/mm2/bn.htm
も読んでみてください(進化論も取り上げていますので)。

余談ですがこのメルマガの筆者は「科学には科学以外の諸々が影響している」という考えのようですが、「このような主張をする筆者は何の影響を受けているのだろう」と考えているところです。


[691] Re^3:読んだ感想 投稿者:内村 投稿日:2004/02/07(Sat) 14:31

> 端的に言えばそうなります。
> 時間が許せば残りのVOL.と
> http://isweb23.infoseek.co.jp/school/mediax/mm2/bn.htm
> も読んでみてください(進化論も取り上げていますので)。
>
> 余談ですがこのメルマガの筆者は「科学には科学以外の諸々が影響している」という考えのようですが、「このような主張をする筆者は何の影響を受けているのだろう」と考えているところです。

こういう話題は思想・哲学の世界では昔から指摘されることですよね?認識論的相対主義だとか言って、クーンやファイヤアーベントと言った科学哲学者の言葉を利用して、科学を相対化しようとする言説は現在でもポストモダン思想と呼ばれる思想家たちを中心にしばしば見られることです。そして、そうした言説は実はしばしば何の論説にもなっていない、「裸の王様」の衒学的な言葉遊びで終わってしまっていることもあるのです。

「ソーカル事件」ってご存知でしょうか?詳しくは『知の欺瞞』(アラン・ソーカル著、岩波書店)という本に事の経緯が載せられているんですが、アラン・ソーカルという物理学者の論文パロディのイタズラがもとで起こった論争で、ポストモダン思想家たちの科学用語の濫用が、まさしく衒学的な言葉遊びに過ぎないということが公に指摘されてしまった事件なんです。科学理論の背後に思想を見て、安易に「それも思想のひとつ」とする議論の危険性を教えてくれた実例です。そういう論調は世の中に結構見られるので注意なさってください。

紹介していただいた進化論の記事も少し見てみました。ダーウィン進化論への批判、それも理論的な中身の批判というよりは、そのバックグラウンドの思想に着目してそれが一神教的モデルを引き継いだものであるということが言いたいようです。で、おかしいところがいくつもありましたので、一部を指摘します。

まず、単細胞生物を引き合いに出して以下のように書いていますが、これは誤りです。

 こうしてみると、どちらが高等・下等などとは、単純には言えないことがわ
 かるでしょう。
 下等なものから高等なものへ進化する、とするのがダーウィン進化論の特徴
 ですから、これは決して見過ごせぬ問題のはずです。(隠れオカルティズム vol.6)

「下等なものから高等なものへ進化する、とするのがダーウィン進化論の特徴」というのがおかしいです。これはむしろラマルキズム(ラマルクという進化論者の考え)だと思います。ダーウィン進化論(自然選択説)は、「下等→高等」のような進歩的概念を持ち込みません。自然選択説を誤解しているのでしょう。

他にもアヤシイ言葉が見つかります。

 それはそうと、『進化』という概念は、どことなく『選民主義』的な香りが
 しませんか?
 選ばれたものだけが、より高等な生物に進化し、支配する…。(隠れオカルティズム vol.12)

これも進化論をものすごく誤解した上でモノを言ってます。第一、生物進化とは関係ない19世紀的な「社会ダーウィニズム」の言い方ですよね。しかも、「社会ダーウィニズム」っていうのも、本当はダーウィンに失礼で、その考え方(成長、高等)を反映しているのはどちらかというとラマルキズムだと思います。おそらく、上のようにいうことで「一神教」の影響に触れたかったのかもしれませんが、とりあえず上の言葉は勘違いです。

で、きわめつけは、進化論のいうことは「エントロピーが減少する現象」だからおかしい(隠れオカルティズム vol.14)というものですね。これもよく見られる間違いですよね。科学自体ではなく、おかしな科学史をかじった哲学サイドから入った人に結構見られるようです。NATROMさんの「進化が科学的事実であることに反対する人は例外なく、これら進化を支持する証拠について無知だったり、何か誤解をしていたりします。」という言葉がまた裏付けられた形となりました。


[701] Re^4:読んだ感想 投稿者:ZEN 投稿日:2004/02/10(Tue) 14:26

内村さん

>
> 「ソーカル事件」ってご存知でしょうか?詳しくは『知の欺瞞』(アラン・ソーカル著、岩波書店)という本に事の経緯が載せられているんですが、アラン・ソーカルという物理学者の論文パロディのイタズラがもとで起こった論争で、ポストモダン思想家たちの科学用語の濫用が、まさしく衒学的な言葉遊びに過ぎないということが公に指摘されてしまった事件なんです。科学理論の背後に思想を見て、安易に「それも思想のひとつ」とする議論の危険性を教えてくれた実例です。そういう論調は世の中に結構見られるので注意なさってください。

この事件のことは知りませんでした。
検索していろいろ見ましたがいまいちわからないです。
この事件が『科学理論の背後に思想を見て、安易に「それも思想のひとつ」とする議論の危険性を教えてくれた』ようには見えないです。
ソーカルという人がパロディー論文を投稿したのはそのような意図だったんでしょうかね?
難しげな用語を使い、分かっていないのに分かったように専門外の科学を借用する思想家・哲学者をからかおうとしただけに見えます。
そもそもポストモダンとやらというのも私にはわからんのでお手上げです。
槍玉に上がった人のうち知っていたのはラカンだけでした。知っているといっても名前だけです。

話題を戻しますが、そもそも「科学的事実」というのも過去を振り返れば変わってきています。ガリレオの時代までは「太陽が地球の周りを回っている」が「科学的事実」だったんじゃないでしょうか。「生物は単細胞から多細胞へ、魚類から哺乳類へ進化した」が現在の「科学的事実」としてもそれがこれからもずっと「科学的事実」でありつづけるかどうかは分からないんじゃないでしょうか(「地球が太陽の周りを回っている」が「科学的事実」であり続けるかどうかもわからないのと同様に!)。そういう意味では「科学的事実」というのも相対的なものに留まるのではないでしょうか。
「君子、怪力乱神を語らず」とかいう言葉があったと思います。平たく言えば科学というのは「怪力乱神を語らず」(唯物論と言い換えて良いのかな?)を「約束事」にしていると思います。その約束事の「枠内」で実験したり、観察したり、考察したりしているわけです。「怪力乱神を語らず、という約束事の枠内で語るならこれが事実でございます」というのが科学だと思います。そういう意味では科学もまた思想の一つと思いますが。


[703] Re^5:読んだ感想 投稿者:内村 投稿日:2004/02/10(Tue) 20:08

> この事件のことは知りませんでした。
> 検索していろいろ見ましたがいまいちわからないです。

「きみはソーカル事件を知っているか?」などはどうでしょうか?
http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html

> この事件が『科学理論の背後に思想を見て、安易に「それも思想のひとつ」とする議論の危険性を教えてくれた』ようには見えないです。
> ソーカルという人がパロディー論文を投稿したのはそのような意図だったんでしょうかね?

「物理学的『現実』は社会的『現実』と同様に、基本的に、言語学的・社会的構築物である」というのがパロディー論文での結論です。平たく言えば、「科学なんて客観的とか言っているけど、実は世の中の数ある文化的産物のひとつ(にすぎない)」という論調に与するものだったわけです。で、それが「パロディー」だったと。
なんでそんな論文を書いたのか、その辺の考えを詳しく書いたのが先回ご紹介した『「知」の欺瞞』です。この本の前書きと4章「第一の間奏−科学哲学における認識的相対主義」の部分をお読みいただくだけでも、ZENさんの疑問にかなり答えるものになっていると思います。私がZENさんに最初にした質問「科学がメタファーであるということを強調することで、「科学もひとつの考え方だ」という相対化を図ることが狙いなのでしょうか?」というところの問題意識とかなり重なってきます(私のこの質問は既にソーカル事件を念頭に入れたものでした)。


> 話題を戻しますが、そもそも「科学的事実」というのも過去を振り返れば変わってきています。ガリレオの時代までは「太陽が地球の周りを回っている」が「科学的事実」だったんじゃないでしょうか。「生物は単細胞から多細胞へ、魚類から哺乳類へ進化した」が現在の「科学的事実」としてもそれがこれからもずっと「科学的事実」でありつづけるかどうかは分からないんじゃないでしょうか(「地球が太陽の周りを回っている」が「科学的事実」であり続けるかどうかもわからないのと同様に!)。そういう意味では「科学的事実」というのも相対的なものに留まるのではないでしょうか。

これは論法として実は自己論駁的ともいえないでしょうか。歴史学である科学史の研究手法が科学の研究手法より優れている保証はどこにもありません。というか、どちらも(確認された)事実と学説とをつき合わせていく作業という意味ではむしろ似ています。つまり、地動説の確からしさを疑う水準でモノを言うならば、「ガリレオの時代までは「太陽が地球の周りを回っている」が「科学的事実」だった」という「歴史学的学説」も同じくらい疑いうるのではないかという話になってしまうのです。

> 「君子、怪力乱神を語らず」とかいう言葉があったと思います。平たく言えば科学というのは「怪力乱神を語らず」(唯物論と言い換えて良いのかな?)を「約束事」にしていると思います。その約束事の「枠内」で実験したり、観察したり、考察したりしているわけです。「怪力乱神を語らず、という約束事の枠内で語るならこれが事実でございます」というのが科学だと思います。そういう意味では科学もまた思想の一つと思いますが。

科学一般についてそういうならそういえるでしょう。しかし、それと当該科学理論がどれくらい正しいかはまた別の話です。進化論の話の延長でこの話をしていますが、要するに、当該理論である進化論を見ないで科学一般に話を広げて進化論に茶々を入れるのは論法としてはお門違いということです。死海写本の発見によって、写本の作業が非常に正確に行われたことがわかったという学説に対して、「考古学の約束事という思想の中での話でしょ」と言って当該学説の正しさに茶々を入れる論法が適当でないのと同じようにです。

そんなふうに具体的な学説の中身を検討することなく一段抽象化させた議論をすると大体話しがうまくまとまりません。進化論を否定する人はその辺を理解せずにしているのか、逆に意識的に行っているのかわかりませんが、とにかく混同させて議論してしまいます。協会もそういう論法をよく使いますね。こうしたことから、「進化論を否定する人に進化論を誠実に学んだことのある人は事実上皆無」であることのカラクリもご理解いただけると思います。


[711] Re^6:読んだ感想 投稿者:ZEN 投稿日:2004/02/12(Thu) 15:23


>
> 「きみはソーカル事件を知っているか?」などはどうでしょうか?
> http://www.gakushuin.ac.jp/~881791/fn/Hori.html

読んでみました。
資料ありがとうございます。
>
> なんでそんな論文を書いたのか、その辺の考えを詳しく書いたのが先回ご紹介した『「知」の欺瞞』です。この本の前書きと4章「第一の間奏−科学哲学における認識的相対主義」の部分をお読みいただくだけでも、ZENさんの疑問にかなり答えるものになっていると思います。

折りあれば読んでみたいと思います。図書館で捜してみましたがありませんでした。ということでこの話題はクローズということで。

>
> これは論法として実は自己論駁的ともいえないでしょうか。歴史学である科学史の研究手法が科学の研究手法より優れている保証はどこにもありません。

「ガリレオの時代までは天動説が「科学的事実」だったのではないか」という問いかけは歴史学の手法などというたいそうなものを根拠に述べていたのではありません。
では、質問の形を取らせていただきましょうか(ものすごく単純なことです)。
内村さんは「科学的事実」と主張されていたものが否定され、別の「科学的事実」に置き換わった例をご存知ないでしょうか?
現在、「科学的事実」として主張されていること(例えば生物進化とかプレートテクトニクス、ビッグバンなど)は普遍的事実と必ず一致すると思いますか?
(「その問い方は罠だ」とか「隠れた前提があるので不適な問いだ」とか「その論法は自家撞着している」などと言って「まともに答えない」のもありとします。もういい加減に打ちきりたいので、レス頂ければそれで終了にします。)


> 科学一般についてそういうならそういえるでしょう。しかし、それと当該科学理論がどれくらい正しいかはまた別の話です。進化論の話の延長でこの話をしていますが、要するに、当該理論である進化論を見ないで科学一般に話を広げて進化論に茶々を入れるのは論法としてはお門違いということです。

いや、科学(進化論に限らず)というのは「怪力乱神を語らず、という約束事の枠内で語るならこれが事実でございます」というものだということを常に認識しているのは重要と思います。
進化論に茶々を入れようとする人がいる場合「あなたは怪力乱神を多いに語りながら茶々を入れようとしていますか?それなら大前提が違っているので話が噛み合うことは決してないでしょう」「それとも怪力乱神を語らずという約束事を守って(すなわち科学的に)茶々をいれようとしていますか?それなら語ってください」ということになるんじゃないですか?

>死海写本の発見によって、写本の作業が非常に正確に行われたことがわかったという学説に対して、「考古学の約束事という思想の中での話でしょ」と言って当該学説の正しさに茶々を入れる論法が適当でないのと同じようにです。

そういう言い方ではなくて「怪力乱神を語らずという約束事のもとで言えば、写本の作業は非常に正確に行なわれたというのが事実でございます。ということでしょ?」という茶々の入れ方になります。こういう茶々をいれられたら学者は「そうでんな」と笑っていれば良いんじゃないでしょうか。

>
> そんなふうに具体的な学説の中身を検討することなく一段抽象化させた議論をすると大体話しがうまくまとまりません。進化論を否定する人はその辺を理解せずにしているのか、逆に意識的に行っているのかわかりませんが、とにかく混同させて議論してしまいます。協会もそういう論法をよく使いますね。こうしたことから、「進化論を否定する人に進化論を誠実に学んだことのある人は事実上皆無」であることのカラクリもご理解いただけると思います。

抽象化された議論は私ももう結構なので止めましょう。新スレッドで具体的なお題を出しますので、よろしくお願いします。


[725] Re^7:読んだ感想 投稿者:内村 投稿日:2004/02/15(Sun) 15:21

> 「ガリレオの時代までは天動説が「科学的事実」だったのではないか」という問いかけは歴史学の手法などというたいそうなものを根拠に述べていたのではありません。

別に私もたいそうなことを述べているのではありません。ZENさんは「かつて天動説が信じられていた」ことをご自分で色々調べて確認されたわけではなく、「歴史的事実」として信じられていることをそのまま受け入れた状態で肯定しておられると思います(それが普通です)。そっちは受け入れておいて、進化論を含めた科学一般は「変わりうるもの」として扱われるその背後にある動機は何かということを問題にしていたのです。「歴史的事実」だって変わるのですから。

> 内村さんは「科学的事実」と主張されていたものが否定され、別の「科学的事実」に置き換わった例をご存知ないでしょうか?

このことから上のご質問に真正面から答えることが議論の方向を変えてしまうことに同意していただけるでしょうか?それでも敢えてお答えすれば、フロンガスがかつて有益無害だと考えられており、今はオゾン層を破壊する原因になるという点で無害とは考えられなくなったり、ステロイドも無害だと思われていたのが、後に人体に悪影響を及ぼすと分かったとか、そういう「科学的事実(認識)」の変化はたくさんあります、と答えます。

> 現在、「科学的事実」として主張されていること(例えば生物進化とかプレートテクトニクス、ビッグバンなど)は普遍的事実と必ず一致すると思いますか?

思いません。ひとつ疑問があります。ZENさんは「科学」と「近代科学」の区別をつけておられますか?その区別があると、「進化論を天動説にたとえ、天動説は否定されたから進化論も否定されうるのだ」という主張が誤りである理由、また、「地動説が将来否定されるかもしれないのと同様に、進化論も将来否定されるかもしれない」との主張が正しいと言える理由をものすごくよく理解できると思います。

> 進化論に茶々を入れようとする人がいる場合「あなたは怪力乱神を多いに語りながら茶々を入れようとしていますか?それなら大前提が違っているので話が噛み合うことは決してないでしょう」「それとも怪力乱神を語らずという約束事を守って(すなわち科学的に)茶々をいれようとしていますか?それなら語ってください」ということになるんじゃないですか?

では逆に、創造科学は「怪力乱神の介入を前提にしたパラダイムである以上科学ではない」という主張には同意されますか?また、創造論者が科学を借りてきて創造説を正当化しようとしたり、進化論を否定しようとしたりする作業が科学的作業として根本的に誤っていることにも同意されるでしょうか。


[735] Re^8:読んだ感想 投稿者:ZEN 投稿日:2004/02/16(Mon) 10:29


>
> > 現在、「科学的事実」として主張されていること(例えば生物進化とかプレートテクトニクス、ビッグバンなど)は普遍的事実と必ず一致すると思いますか?
>
> 思いません。ひとつ疑問があります。ZENさんは「科学」と「近代科学」の区別をつけておられますか?

そのような区別はしておりません。両者の違いの解説願います。

> では逆に、創造科学は「怪力乱神の介入を前提にしたパラダイムである以上科学ではない」という主張には同意されますか?また、創造論者が科学を借りてきて創造説を正当化しようとしたり、進化論を否定しようとしたりする作業が科学的作業として根本的に誤っていることにも同意されるでしょうか。

両者とも同意します。「『科学的作業として』根本的に誤ってる」訳です(これ重要)。


[740] Re^9:読んだ感想 投稿者:内村 投稿日:2004/02/17(Tue) 02:01

> そのような区別はしておりません。両者の違いの解説願います。

科学的精神は古くから至る所で見られました。古代エジプトの灌漑農業、ピラミッドの技術などにも見ることはできますし、ギリシャ哲学の時代にはエラトステネスという人が地球の周の長さをかなり正確に算出しています。他にもイスラム教文明その他の文明にも科学は見られましたし、当然キリスト教文明にもありました。科学といった場合、それらを含めて考えることができます。

近代科学を考えるときは、「近代とは何か」ということについての共通認識が必要と思われます。近代の萌芽についてのまとめとしては、科学史の範囲のかなりステレオタイプな解説ですが、ちょうどよさそうな資料がありましたので、リンクしておきます(経営学の授業(?)で扱われているのが気になりますが、それほど常識として流布していると考えていただいてもよいと思います)。
http://www.mng.toyo.ac.jp/publication/keieironshu/g200303c/08_matsuyuki.pdf

近代科学の特色は、一つにはその世界観です。機械論的世界観といわれるものです。それまでのキリスト教圏において支配的であった考え方はアリストテレスの目的論的世界観であり、中世のキリスト教神学はアリストテレスの物理学と聖書の神学とをどう統合するかに一番の問題としていました(トマス=アクィナスの『神学大全』が書いている、神の5つの存在証明のうちのひとつ、「運動による証明」はアリストテレス物理学を前提にしています)。

目的論的世界観と機械論的世界観の違いをカンタンに説明すると、的当てゲームで真中の的にボールが当たる光景を見て、(1)「ボールが真中の的に当たりたかったんだろう(そういう性質を持っていたのだろう)」と考えるのが前者で、(2)「投げ始めの初速と仰角をとったボールが等速直線運動をした結果、的に当たったのだろう」と考えるのが後者です。前者は有機的な世界観で後者は無機的です。

「世界は時計仕掛けで動いている」との表現も可能な(現代ではあるいみ常識となっている)機械論的世界観の考え方を生んだのに貢献したと言われる人物が、デカルト、ガリレオ、ニュートンといった17世紀の人物たちです(ほかにもたくさんいます)。ガリレオが「近代科学の父」といわれているのは、彼が自然という書物は数学という言葉で書かれており、人間は数学を学ぶことで自然の法則を読み取ることができ、仮説と実験でそれを確認できるという今日われわれが科学的作業と呼ぶそのスタイルをはじめに持ち込んだと考えられているからです。で、そのガリレオがコペルニクスの地動説を支持して裁判にかけられたという話は有名です。

ここで話がようやく本論に戻るわけですが、天動説は、たしかに当時の科学ではありましたが「近代科学」ではなかったわけです。事実以上に世界観が先行したモデルであり、実験や観測によって証拠が積み上げられるという作業以前に「こうであるべき」という認識で確立され維持された考え方という側面が強かったからです。だから、進化論を天動説にたとえて「天動説は否定されたから進化論も否定されうるのだ」という主張は誤りであり、また、「地動説が将来否定されるかもしれないのと同様に、進化論も将来否定されるかもしれない」との主張は正しいと言えるのです。

ステレオタイプの「近代」についてカンタンに述べましたが、<近代>とは何かという問いは、現在かなり盛んに議論されている問題です。思想史では、産業革命も共産主義も大衆消費社会も官僚制という組織構造も、この「近代」という言葉を抜きに考えることはできません。近代に関して思いつくキーワードは「均質」「数学」「システム」などでしょうか(思いつきでモノをいってますが)。思想の世界でポストモダンというのも「近代以後」つまり、時代精神、時代区分としてこの<近代>をどう乗り越えられるかということを前提にしているわけです(色々行き詰まっていますが)。

> 両者とも同意します。「『科学的作業として』根本的に誤ってる」訳です(これ重要)。

なるほど。であれば、エホバの証人が進化論を否定する作業も科学的な問題としてではなく、イデオロギーに由来するものであることにも同意していただけるでしょうか?


[744] Re^10:読んだ感想 投稿者:ZEN 投稿日:2004/02/19(Thu) 10:54

科学と近代科学の解説ありがとうございます。
現在いろいろ調べているところですが、近代科学が「怪力乱神を語らず」を約束事にするのは、17世紀よりもっと後になってからのようです。
ガリレオは「自然は偉大な書であり、その書を読み解く言語が数学」というような発言をしています(神を前提にしたものの言い方)。ニュートンも「神は二つの書を書いた。一つは聖書、一つは自然」というような発言をしていているようです。そして「自然を扱う時は怪力乱心を語らない」という約束事(現代の科学の約束事)を守ってはいないようです。
ニュートンといえども片足は中世に突っ込んでいる人なので当たり前でしょうけれど。

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/user/sashina/sub4f.pdf
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/user/sashina/sub4g.pdf
http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/user/sashina/sub4h.pdf

>
> なるほど。であれば、エホバの証人が進化論を否定する作業も科学的な問題としてではなく、イデオロギーに由来するものであることにも同意していただけるでしょうか?

同意します。というかそれは「自明」のことでは?

http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/user/sashina/sub4i.pdf


[745] Re^11:読んだ感想 投稿者:内村 投稿日:2004/02/19(Thu) 16:08

> 現在いろいろ調べているところですが、近代科学が「怪力乱神を語らず」を約束事にするのは、17世紀よりもっと後になってからのようです。
> ガリレオは「自然は偉大な書であり、その書を読み解く言語が数学」というような発言をしています(神を前提にしたものの言い方)。ニュートンも「神は二つの書を書いた。一つは聖書、一つは自然」というような発言をしていているようです。そして「自然を扱う時は怪力乱心を語らない」という約束事(現代の科学の約束事)を守ってはいないようです。
> ニュートンといえども片足は中世に突っ込んでいる人なので当たり前でしょうけれど。

ええと、ZENさんとのお話のツリーでは、進化論→科学論→科学史と話が移ってきてしまっていますが、今日の科学的手法の確立に影響を与えたのは誰かという問題を考えたところで、進化が事実かという問題に影響を与えるわけではありません。だいたい、まともな科学史家で進化を否定する人はいません。私が科学と近代科学の違いについて述べた理由は、ZENさんの
「そもそも「科学的事実」というのも過去を振り返れば変わってきています。ガリレオの時代までは「太陽が地球の周りを回っている」が「科学的事実」だったんじゃないでしょうか。「生物は単細胞から多細胞へ、魚類から哺乳類へ進化した」が現在の「科学的事実」としてもそれがこれからもずっと「科学的事実」でありつづけるかどうかは分からないんじゃないでしょうか(「地球が太陽の周りを回っている」が「科学的事実」であり続けるかどうかもわからないのと同様に!)。そういう意味では「科学的事実」というのも相対的なものに留まるのではないでしょうか。」
という言葉に、その辺(科学と近代科学)の混乱を見たからです。

それで、近代科学成立の黎明期における、本当に「ステレオタイプな解説」を簡潔にしたわけです。しかしそれ以上の各論の話は、まず科学史の地図を描けるようになってから意見交換をしないとあまり実りある議論はできないでしょう。近代科学が「怪力乱神を語らず」を約束事にして生まれたというわけではありません(デカルト、ガリレオ、ニュートンいずれもその辺の考え方は同じというわけではありません。デカルトは一番それに近かったようですが)。むしろ順番が逆で、自然を数学でモデル化できるという考えから「機械論的」な見方(「怪力乱神を語らず」)が醸成されたと考えられるわけです。その世界観の下では、ピストルから発射された弾は誰が打ったものであろうが、きちんとあらかじめ算出可能な軌道を取るだけであって、対象が善人であればよけて、悪人であれば命中するなんていうことはありません。つまり、少なくとも物理的世界において神の意思が入る隙間は著しく後退したのです。神学的にはこれが後の理神論の成立を助けます。

その辺の話はここで素人の私が話をするより、本を読んでいただいた方が早いでしょう。
ZENさんに気に入っていただけそうな科学史や科学一般に関係した本として、下の本をご紹介します。
渡辺正雄『科学者とキリスト教』(講談社ブルーバックス)
大谷順彦『進化をめぐる科学と信仰』(すぐ書房)

いずれもキリスト教神学との関係で進化の問題(進化は特に後者)や近代科学を扱っていますので、純粋な科学史や科学哲学の本とは毛色が異なりますが、ZENさんの関心事にマッチしていると思います。確か両著者ともクリスチャンです(それが今回選んだ理由でもあります)。以前ご紹介した『「知」の欺瞞』の第4章の議論はもっと科学哲学寄りになります。

> 同意します。というかそれは「自明」のことでは?

?では、『生命』の本や『創造者』の本が科学や科学的知識に(しばしば不正確な仕方で)触れて自説を展開しているその内容が科学的知識以前に方法論としてどうしておかしいかは、ZENさんのなかでは折込済みということでしょうか。そうであれば、私たちの間に争点はあまりないということになると思います。


[750] Re^12:読んだ感想 投稿者:ZEN 投稿日:2004/02/23(Mon) 14:59

>
> ええと、ZENさんとのお話のツリーでは、進化論→科学論→科学史と話が移ってきてしまっていますが、今日の科学的手法の確立に影響を与えたのは誰かという問題を考えたところで、進化が事実かという問題に影響を与えるわけではありません。だいたい、まともな科学史家で進化を否定する人はいません。

現時点における「まともな科学史家(あるいはまともな科学者)」というのは「怪力乱神を語らず」という約束事を守る人であり「機械論的宇宙観」を自分の宇宙観として持っている人のことであろうと思いますので、進化を否定する人はいないでしょうね。

私が科学と近代科学の違いについて述べた理由は、ZENさんの
> 「そもそも「科学的事実」というのも過去を振り返れば変わってきています。ガリレオの時代までは「太陽が地球の周りを回っている」が「科学的事実」だったんじゃないでしょうか。「生物は単細胞から多細胞へ、魚類から哺乳類へ進化した」が現在の「科学的事実」としてもそれがこれからもずっと「科学的事実」でありつづけるかどうかは分からないんじゃないでしょうか(「地球が太陽の周りを回っている」が「科学的事実」であり続けるかどうかもわからないのと同様に!)。そういう意味では「科学的事実」というのも相対的なものに留まるのではないでしょうか。」
> という言葉に、その辺(科学と近代科学)の混乱を見たからです。

中世までの科学で「事実」とされていたことが近代科学によってひっくり返ったのであれば、近代科学によって「事実」とされていることが未来の科学によってひっくり返ることもあるということですよね。
上の文章で私は「天動説が否定されたように進化論も否定されるかも知れない」という不公正な比喩と、「地動説が科学的事実であり続けるかどうか分からないように進化論も科学的事実であり続けるかどうか分からない」という公正な比喩を同時にしていたという点は認めるといたしましょう。というか本当に混同していたので。
ただ現在の科学で「事実」とされていることのうち、未来に何が生き残り何がひっくり返るのかは全く分かりませんよね。例えば進化論、地動説をネタにするなら両方が生き残るかもしれませんし、進化論がひっくり返る(ファンダメンタリストやJWが喜びそう)かも知れませんし、進化論が残って地動説がひっくり返るかもしれんし、両方ともひっくり返るかもしれませんし。

>
> それで、近代科学成立の黎明期における、本当に「ステレオタイプな解説」を簡潔にしたわけです。しかしそれ以上の各論の話は、まず科学史の地図を描けるようになってから意見交換をしないとあまり実りある議論はできないでしょう。近代科学が「怪力乱神を語らず」を約束事にして生まれたというわけではありません(デカルト、ガリレオ、ニュートンいずれもその辺の考え方は同じというわけではありません。デカルトは一番それに近かったようですが)。むしろ順番が逆で、自然を数学でモデル化できるという考えから「機械論的」な見方(「怪力乱神を語らず」)が醸成されたと考えられるわけです。

私もそのように考えます。
あと、本の紹介ありがとうございます。
ブルーバックスのほうは手に入りやすそうなので探してみます。

>
> > 同意します。というかそれは「自明」のことでは?
>
> ?では、『生命』の本や『創造者』の本が科学や科学的知識に(しばしば不正確な仕方で)触れて自説を展開しているその内容が科学的知識以前に方法論としてどうしておかしいかは、ZENさんのなかでは折込済みということでしょうか。そうであれば、私たちの間に争点はあまりないということになると思います。

現代の科学は「不敬虔(怪力乱心を語らず)」なものなので、創造者の存在を主張するのに便利なもの(万有引力の法則や宇宙の天体の運行法則等)であろうと教義に反するもの(進化論)であろうと(反進化論の本など出版せずに)ほうっておけば良かったのだ、と思っています。「彼らのことは抛っておきなさい」という聖句もあることですし。


[752] Re^13:読んだ感想 投稿者:内村 投稿日:2004/02/25(Wed) 20:56

> 現時点における「まともな科学史家(あるいはまともな科学者)」というのは「怪力乱神を語らず」という約束事を守る人であり「機械論的宇宙観」を自分の宇宙観として持っている人のことであろうと思いますので、進化を否定する人はいないでしょうね。

「ので」というのが私にはちょっと分かりません。進化を事実として認めることと、神の存在の有無を考えることは全く別の問題です。「進化が事実だから神は存在しない」とは言えませんし、「進化が事実でないから神は存在する」とも言えません。もっとも、エホバの証人の協会を含めた創造論者はこのおかしなトレードオフを持ち込んだ過ちを犯しています(すべての創造論者がそうだとは言いません)。彼らにとっては自分の信じる神が存在するためには進化が事実であってくれては困るのです。そうした例は、具体的にはピクセルさんの反応に見られます。

> 中世までの科学で「事実」とされていたことが近代科学によってひっくり返ったのであれば、近代科学によって「事実」とされていることが未来の科学によってひっくり返ることもあるということですよね。
>
> ただ現在の科学で「事実」とされていることのうち、未来に何が生き残り何がひっくり返るのかは全く分かりませんよね。例えば進化論、地動説をネタにするなら両方が生き残るかもしれませんし、進化論がひっくり返る(ファンダメンタリストやJWが喜びそう)かも知れませんし、進化論が残って地動説がひっくり返るかもしれんし、両方ともひっくり返るかもしれませんし。

クーンのパラダイム論を使ってそういったことを言う人もいます。ごくごく一般的に言えばそういうこともできるでしょう。ただ、私見ですが、そういう言い方は得てして乱暴なものになりがちです。進化論を調べもしないでそれが「ひっくり返るかもしれない」という人の意見は、そういうための何の根拠もなく、しかし、可能性はゼロではないという意味で「いつか、太陽は西から昇るかもしれない」という意見とあまり変わりません。なんらかの意見や見方に警鐘を鳴らすカウンターとしてはあまりにもお粗末すぎると思うのです。

具体的な科学理論のできるまでをひとつでも追い、その提唱者がどうしてそれを正しいと考えたのか、また、現在それがどうして正しいと受け入れられているのかを見てみれば、「以前にも変わったんだからまた変わるでしょ」とは安易には言えなくなると思います(そこまで調べた上でさらにその理論のどこをおかしいと思うか自分で批判してみようとすればこのことが良く分かると思います)。

さらに、その「ひっくり返り方」ですが、科学者の事実認識が「ひっくり返った」というのは一部では既に見られてきたことです。それが「近代科学」と「現代科学」とがまた分けて語られている謂れとなっています。中世の科学と近代科学が分けて語られるように、近代科学と現代科学がどうして分けて語られるのか、ZENさんはご存知でしょうか?詳述しませんが、その理由のひとつには近代科学の認識のある部分が現代科学によって「ひっくり返された」からといえるでしょう。その「ひっくり返った」内容や経緯を知れば、少なくとも同じ「ひっくり返る」という言葉を使っていながらも「進化論や地動説がひっくり返るかもしれない」という意味で使えそうかの方向性がまた見えてくるかもしれません。

もちろん、科学的探究を通して本当に思いもかけない事実にでくわすこともあります。ダーウィンの進化論はそうした衝撃を時代に与えました。それを捕まえて「事実認識が一度ひっくり返ったのだから、さらにまたひっくり返るかもよ。人間のやることなんだから」という意見は一見正しい部分を含んでいますが、同時に非常に非建設的です。探求活動というリングの中に入って必死に格闘するのが科学者であるとすれば、外から傍観していながら「どうせ結論なんか変わるばっかりさ」と言っているようなものです。しかも、自分はその科学者たちの出した様々な恩恵に与っているのです(医療、機械、通信、交通、娯楽など)。

いずれにしてもその辺の理解を示すことなく、科学一般を語ったり批判したりするのはかなり無謀な行為と言わざるを得ません。そもそも、創造論者のすべきことは科学を批判することではありません。ある事実がどうして創造の証拠と言えるのかについての自説の正当性を明らかにすることです(そして少なくとも創世記を事実として捉えた創造論はそれに失敗してきたのです)。創造論者が、進化論を始めとした科学を否定すればあたかも自分たちの言い分の正しさが立証されたかのように考えるのは錯覚にすぎません。それでもそうした錯覚に創造論者が気づけない理由は、逆にそれだけ科学が強大な成果と影響力をもたらしてきたからであり、実質、科学におんぶに抱っこの状態で議論をしているからです。

> 現代の科学は「不敬虔(怪力乱心を語らず)」なものなので、創造者の存在を主張するのに便利なもの(万有引力の法則や宇宙の天体の運行法則等)であろうと教義に反するもの(進化論)であろうと(反進化論の本など出版せずに)ほうっておけば良かったのだ、と思っています。「彼らのことは抛っておきなさい」という聖句もあることですし。

「怪力乱心を語らず」という立場を「神は存在しない」という立場と混同しておられるように見えます。科学はZENさんのおっしゃるとおり、人知で推し量れず、理性で把握できないものを扱わないだけであって、それらが「ない」と言っているわけではありません。もし、「ない」といえば、その瞬間にそれは「科学主義」という別の信仰になります。


[754] Re^14:読んだ感想 投稿者:ZEN 投稿日:2004/03/02(Tue) 17:30

内村さん>

>
> 「ので」というのが私にはちょっと分かりません。

怪力乱神を語らずという約束事や機械論的世界観のもとで、仮説を立て・観察し・実験し・考察する人々(まともな科学者)にとって進化は事実として認定されるだろうということです。

>進化を事実として認めることと、神の存在の有無を考えることは全く別の問題です。「進化が事実だから神は存在しない」とは言えませんし、「進化が事実でないから神は存在する」とも言えません。

そうですね。ダーウィン自身、種の起源の第2版で「生命は最初わずかのものあるいはただ一個のものに造物主により吹きこまれ・・・」と書いているらしいですから、神の存在の有無に関する事実認定と進化に関する事実認定は無関係でしょうね。


>
> さらに、その「ひっくり返り方」ですが、科学者の事実認識が「ひっくり返った」というのは一部では既に見られてきたことです。それが「近代科学」と「現代科学」とがまた分けて語られている謂れとなっています。中世の科学と近代科学が分けて語られるように、近代科学と現代科学がどうして分けて語られるのか、ZENさんはご存知でしょうか?

知らないです。
現代科学の雄といえば相対論と量子論ですか?
ここまで来ると理解不能なので勘弁。

>そもそも、創造論者のすべきことは科学を批判することではありません。ある事実がどうして創造の証拠と言えるのかについての自説の正当性を明らかにすることです(そして少なくとも創世記を事実として捉えた創造論はそれに失敗してきたのです)。

そのような試みは「非科学」の試みですが、非科学的であることが恥ずかしいことであるかのような現在の風潮では確かに成功しないでしょうね。
「〜は創造の証拠である」という主張はもろに怪力乱神を前提としているので科学の側としては「その主張は科学的に肯定も否定もできない。そのような主張は非科学的な主張として出してくるのは構わないが、その主張を『科学的な主張』として出してくるのはやめてくれ」となるでしょうね(JWの「創造」の本やファンダメンタリストの「科学的創造論」というのはこれをやっているからたたかれるんでしょうね)。


>
> 「怪力乱心を語らず」という立場を「神は存在しない」という立場と混同しておられるように見えます。科学はZENさんのおっしゃるとおり、人知で推し量れず、理性で把握できないものを扱わないだけであって、それらが「ない」と言っているわけではありません。もし、「ない」といえば、その瞬間にそれは「科学主義」という別の信仰になります。

混同していませんよ。怪力乱神を語ることが3度の飯より好きそうな方々(JWの御上やファンダメンタリストの御上)にしてみれば「神を扱わない」こと自体が「不敬虔」に思えるだろうということです。

進化論の紹介として適切と思われるところを見つけたので貼っておきます。
http://www2.biglobe.ne.jp/~oni_page/Evolution/index.html
http://meme.biology.tohoku.ac.jp/INTROEVOL/index2.html

「種の起源」が出版されてから140年あまりになりますが、科学v.s宗教(教義)という争いの歴史を見ても宗教側の主張が勝利を収めた例は私の知る限りありません。進化論をめぐる争いはどうなるんでしょうかね。カトリックが1996年に「限りなく白に近い旗」を揚げて以来、進化論に頑強に反対するのはファンダメンタリストとJWぐらいになってしまいましたが、そろそろ「引き際」を考える時期なのかもしれません。


[714] Re^7:読んだ感想 投稿者:NATROM 投稿日:2004/02/12(Thu) 19:15

・科学には科学以外の諸々が影響している
・科学もひとつの考え方だ
・「科学的事実」というのも過去を振り返れば変わってきている
・科学もまた思想の一つである

という主張はどれも正しいと思います。問題はですね、上記のような正しい主張からトンデモない結論を引き出そうとする人たちがいるってことなんです。たとえば、科学がひとつの考え方であるからといって、ある科学の一学説が胡散臭いものであるかのように論じる人です。


http://mediax.hp.infoseek.co.jp/mm3/bn.htm
の内容は駄目駄目です。

「ダーウィン進化論は予言をしない、反証不可能」というのは間違いです。
「生物の体が変化するためには、ホルモンのような何らかの物質が分泌されなければならない」というのは間違いです。

他にもいっぱい間違いがあります。このメルマガの作者は、進化生物学についてまったく理解していません。正統科学に胡散臭い部分があると主張するならば、まず、正統科学を理解する必要があるということを、この作者は知らないのでしょう。正統科学に批判的な目を向けるのなら、地動説にも同様に批判の目を向けるべきです。

進化論を天動説にたとえ、天動説は否定されたから進化論も否定されうるのだ、と主張されるときがあります。しかし、それをたとえは不適切です。天動説が地動説にとってかわられたのはさまざまな証拠が積み重なった結果であり、創造論が進化論にとってかわられたのもさまざまな証拠が積み重なった結果なのです。「地動説が将来否定されるかもしれないのと同様に、進化論も将来否定されるかもしれない」と言うのなら反対しません。地動説も進化論も膨大な証拠に支えられていますが、それは地動説や進化論が普遍的真実であることを意味しているのではなく、現在の科学的事実であることを意味しているに過ぎないのです。


それから、横レスになりますが、

>現在、「科学的事実」として主張されていること(例えば生物進化とかプレートテクトニクス、ビッグバンなど)は普遍的事実と必ず一致すると思いますか?

思いません。進化やプレートテクトニクスは現在の科学的事実で過ぎないのであり、たとえば、「地球は丸い」とか「太陽は熱い」とか「すべての物質は原子から出来ている」といった主張と同じくらいにしか正しくありません。地動説は普遍的事実ではありませんよね。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%91%E4%BC%BC%E7%A7%91%E5%AD%A6#反証不可能性


[716] 横レスの質問ですが… 投稿者:jw 投稿日:2004/02/12(Thu) 22:18

すみません横レスさせていただきます。
私があまり利口でないのか下記のコメントがいまいち理解できません。
よろしければ簡潔にお答えしていただくたく思います。

>地動説も進化論も膨大な証拠に支えられています
地動説と同等の進化論を裏付ける証拠とはなんでしょうか?

>地動説は普遍的事実ではありません。
そういう主張の根拠は何でしょうか?

是非抽象的な答えではなく現実的な証拠を提示してください。

どうぞよろしくお願いします。


[717] Re: 横レスの質問ですが… 投稿者:NATROM 投稿日:2004/02/13(Fri) 17:50

>地動説と同等の進化論を裏付ける証拠とはなんでしょうか?

化石の記録、種間のDNAや解剖学的特徴の比較、地理的分布、生物の形質の不完全性、実際に観察される個体群の変化などです。こういった情報は一般書から専門書までさまざま文献から入手できます。ご興味がおありなら、参考文献をいくつか紹介してもよいです。jwさんがどうだかはわかりませんが、私の経験では、「生物進化は地動説ほどの科学的証拠には支えられていない」と主張ないしほのめかす人は例外なく、進化を支持する証拠について無知でした。そして進化を支持する証拠についてよく知っている人たちは、進化がきわめて確からしい、そう、地動説と同じくらい確からしい科学的仮説であることに反対していません。


>>地動説は普遍的事実ではありません。
>そういう主張の根拠は何でしょうか?

jwさんは、地動説が普遍的事実であるとお考えですか?地動説が普遍的事実ではないのは、人が天体の動きを観察し科学的に推察した結果にすぎないからです。もしかしたら地球を宇宙の中心に据えて、あたかも人から地動説が正しく見えるように計算して天体を動かしている神様が存在しているかもしれませんよ。そのような神様の存在は科学的には証明も否定もできません。

あるいは、今後、さまざまな新しい証拠を吟味した結果、地動説はどうやら間違っているという結論に至る可能性が将来にわたってゼロであると断言できません。断言できるという人は、「太陽は地球の周りを回っている」や「大陸は動かない」といった説が否定された経過について一度お考えになるべきだと思います。地動説が間違いだったなんてことになる可能性がきわめてゼロに近いというのであれば、私もそう思います。進化が将来科学的に否定される可能性と同じくらい、ゼロに近いと思います。


[718] Re^2: 横レスの質問ですが… 投稿者:jw 投稿日:2004/02/13(Fri) 21:57

ご返事ありがとうございます。

でも残念ながらNATROMさんに私が質問をした趣旨が
うまく伝わっていないように思いました。

今一度リピートいたします。

>地動説も進化論も膨大な証拠に支えられています
地動説と同等の進化論を裏付ける証拠とはなんでしょうか?

>地動説は普遍的事実ではありません。
そういう主張の根拠は何でしょうか?

是非抽象的な答えではなく現実的な証拠を提示してください。
繰り返します。下記のような抽象的な答えは求めておりません。
求めているのは現実な証拠です。

よろしくお願いします。



> >地動説と同等の進化論を裏付ける証拠とはなんでしょうか?
>
> 化石の記録、種間のDNAや解剖学的特徴の比較、地理的分布、生物の形質の不完全性、実際に観察される個体群の変化などです。こういった情報は一般書から専門書までさまざま文献から入手できます。ご興味がおありなら、参考文献をいくつか紹介してもよいです。jwさんがどうだかはわかりませんが、私の経験では、「生物進化は地動説ほどの科学的証拠には支えられていない」と主張ないしほのめかす人は例外なく、進化を支持する証拠について無知でした。そして進化を支持する証拠についてよく知っている人たちは、進化がきわめて確からしい、そう、地動説と同じくらい確からしい科学的仮説であることに反対していません。
>
>
> >>地動説は普遍的事実ではありません。
> >そういう主張の根拠は何でしょうか?
>
> jwさんは、地動説が普遍的事実であるとお考えですか?地動説が普遍的事実ではないのは、人が天体の動きを観察し科学的に推察した結果にすぎないからです。もしかしたら地球を宇宙の中心に据えて、あたかも人から地動説が正しく見えるように計算して天体を動かしている神様が存在しているかもしれませんよ。そのような神様の存在は科学的には証明も否定もできません。
>
> あるいは、今後、さまざまな新しい証拠を吟味した結果、地動説はどうやら間違っているという結論に至る可能性が将来にわたってゼロであると断言できません。断言できるという人は、「太陽は地球の周りを回っている」や「大陸は動かない」といった説が否定された経過について一度お考えになるべきだと思います。地動説が間違いだったなんてことになる可能性がきわめてゼロに近いというのであれば、私もそう思います。進化が将来科学的に否定される可能性と同じくらい、ゼロに近いと思います。


[719] Re^3: 横レスの質問ですが… 投稿者:NATROM 投稿日:2004/02/14(Sat) 09:06

>地動説と同等の進化論を裏付ける証拠とはなんでしょうか?

化石の記録、種間のDNAや解剖学的特徴の比較、地理的分布、生物の形質の不完全性、実際に観察される個体群の変化などです、と書いたのが目にお入りにならなかったようです。これらはすべて現実的な証拠です。これらが「現実的な証拠」でないとするならば、たぶん、jwさんと私とで「現実的な証拠」という言葉の捉え方が異なっていると思われます。jwさんのいう「現実的な証拠」とはたとえばどのようなものなのか、教えてください。たとえば、地動説には「現実的な証拠」はありますか?


>>地動説は普遍的事実ではありません。
>そういう主張の根拠は何でしょうか?

人が天体の動きを観察し科学的に推察した結果にすぎないから、と書いたのがお目に入らなかったようです。jwさんがすべきなのは、この答えがいったいどうして根拠にならないのか、jwさん自身が地動説は普遍的事実と考えているのかどうか、明らかにすることです。

私の答えは抽象的なのではなく、jwさんに理解できなかっただけ、という可能性が強いように思われます。もしそうだとしたら、もっと分かりやすく言い直すこともできますが、ただ「抽象的だ」とだけ言われるのであればどうしようもありません。


[720] 具体的な例を… 投稿者:jw 投稿日:2004/02/14(Sat) 10:33

何度も申し上げるのですが…
下記のような単なる言葉による論議を私は望んではおりません。

> 化石の記録、種間のDNAや解剖学的特徴の比較、地理的分布、生物の形質の不完全性、実際に観察される個体群の変化などです、と書いたのが目にお入りにならなかったようです。これらはすべて現実的な証拠です。

一例として化石の記録に関しては地動説と同等のどんな有力な証拠がありますか?
という質問をしているのです。


>
> >>地動説は普遍的事実ではありません。
> >そういう主張の根拠は何でしょうか?
>
> 人が天体の動きを観察し科学的に推察した結果にすぎないから、と書いたのがお目に入らなかったようです。


NATROMさんは将来地動説が覆る可能性としての根拠として神様がそのように見えるようにしているかも知れないと
述べておられました。またそのような神様の存在は科学的には証明も否定もできません。とも述べておられます。

これが抽象的でないと言われますか?

こうしたご返答を続けるならばこれ以上私は論議を続ける意志はありません。



> >地動説と同等の進化論を裏付ける証拠とはなんでしょうか?
>
> 化石の記録、種間のDNAや解剖学的特徴の比較、地理的分布、生物の形質の不完全性、実際に観察される個体群の変化などです、と書いたのが目にお入りにならなかったようです。これらはすべて現実的な証拠です。これらが「現実的な証拠」でないとするならば、たぶん、jwさんと私とで「現実的な証拠」という言葉の捉え方が異なっていると思われます。jwさんのいう「現実的な証拠」とはたとえばどのようなものなのか、教えてください。たとえば、地動説には「現実的な証拠」はありますか?
>
>
> >>地動説は普遍的事実ではありません。
> >そういう主張の根拠は何でしょうか?
>
> 人が天体の動きを観察し科学的に推察した結果にすぎないから、と書いたのがお目に入らなかったようです。jwさんがすべきなのは、この答えがいったいどうして根拠にならないのか、jwさん自身が地動説は普遍的事実と考えているのかどうか、明らかにすることです。
>
> 私の答えは抽象的なのではなく、jwさんに理解できなかっただけ、という可能性が強いように思われます。もしそうだとしたら、もっと分かりやすく言い直すこともできますが、ただ「抽象的だ」とだけ言われるのであればどうしようもありません。


[722] Re: 具体的な例を… 投稿者:NATROM 投稿日:2004/02/14(Sat) 12:35

化石の記録、種間のDNAや解剖学的特徴の比較、地理的分布、生物の形質の不完全性、実際に観察される個体群の変化、どれも具体的な例であることを、ご理解されておられないようです。


>一例として化石の記録に関しては地動説と同等のどんな有力な証拠がありますか?

傾向として、古い地層ほど単純な構造を持つ生物の化石が見つかります。創造論者がしばしば言うように、中間型の化石がまったく不在というわけではなく、生物進化が事実であるときに期待できるほどには発見されております。詳しくは、たとえば下のURL等を参照ください。

http://www.talkorigins.org/faqs/faq-transitional.html

これらの化石の証拠について、進化によらずして、いったいどのような科学的な説明がつけられるのでしょう?洪水ですべての地層が一気にできたとでも主張されますか?それとも、30億年ほどかけて、ゆっくりゆっくり創造されたとでも主張されますか?他に、生物進化を支持する証拠については、わざわざ掲示板で聞かなくても、一般書もしくは専門書にいくらでもありますが、どうしてここでお尋ねになるのでしょう?


>NATROMさんは将来地動説が覆る可能性としての根拠として神様がそのように見えるようにしているかも知れないと
>述べておられました。またそのような神様の存在は科学的には証明も否定もできません。とも述べておられます。
>これが抽象的でないと言われますか?

抽象的であろうとなかろうと、引用されてある私の主張にjwさんは反論できていません。また、以下の質問にも答えがありません。抽象的な議論を行っているのはいったいどちらでしょう?


・jwさんのいう「現実的な証拠」とはたとえばどのようなものなのか、教えてください。たとえば、地動説には「現実的な証拠」はありますか?


[723] Re^2: 具体的な例を… 投稿者:jw 投稿日:2004/02/14(Sat) 14:33

NATROMさん、ご返事ありがとうございます。
あなたのご返答で私は了解しました。
私とてもかなりつっこみたいところがありますが…
これ以上論議しても時間の無駄だと思います。

こうした論議は20数年のJWの中で経験してきた
事柄です。NATROMさんがそれで証拠としておられるなら
それでけっこうです。

もともと時間の取られるこうした論議はわたしの当初から
望んでいるところではありません。



> 化石の記録、種間のDNAや解剖学的特徴の比較、地理的分布、生物の形質の不完全性、実際に観察される個体群の変化、どれも具体的な例であることを、ご理解されておられないようです。
>
>
> >一例として化石の記録に関しては地動説と同等のどんな有力な証拠がありますか?
>
> 傾向として、古い地層ほど単純な構造を持つ生物の化石が見つかります。創造論者がしばしば言うように、中間型の化石がまったく不在というわけではなく、生物進化が事実であるときに期待できるほどには発見されております。詳しくは、たとえば下のURL等を参照ください。
>
> http://www.talkorigins.org/faqs/faq-transitional.html
>
> これらの化石の証拠について、進化によらずして、いったいどのような科学的な説明がつけられるのでしょう?洪水ですべての地層が一気にできたとでも主張されますか?それとも、30億年ほどかけて、ゆっくりゆっくり創造されたとでも主張されますか?他に、生物進化を支持する証拠については、わざわざ掲示板で聞かなくても、一般書もしくは専門書にいくらでもありますが、どうしてここでお尋ねになるのでしょう?
>
>
> >NATROMさんは将来地動説が覆る可能性としての根拠として神様がそのように見えるようにしているかも知れないと
> >述べておられました。またそのような神様の存在は科学的には証明も否定もできません。とも述べておられます。
> >これが抽象的でないと言われますか?
>
> 抽象的であろうとなかろうと、引用されてある私の主張にjwさんは反論できていません。また、以下の質問にも答えがありません。抽象的な議論を行っているのはいったいどちらでしょう?
>
>
> ・jwさんのいう「現実的な証拠」とはたとえばどのようなものなのか、教えてください。たとえば、地動説には「現実的な証拠」はありますか?


[721] 横横レスですが 投稿者:Feelgood 投稿日:2004/02/14(Sat) 12:33

jwさん

> 何度も申し上げるのですが…下記のような単なる言葉による論議を私は望んではおりません。

貴方の質問以上には具体性があると思います。貴方のお相手は、貴方に参考文献まで教示して下さる旨提案されていますが、それはスルーですか。

質問の意図が通じていないと貴方が感じられるなら(私にはそのようには見えませんが)、質問を変える、より具体的に例えを用いてわかりやすく質問し直す、というのはエホバの証人も教えられていることでしょう。貴方はより具体的な質問をすることによって、ご自分の理解度が表に出てしまうのをおそれているようにしか見えないのですが、誤解でしたらご自身の行動で示して頂ければ、と思います。

> NATROMさんは将来地動説が覆る可能性としての根拠として神様がそのように見えるようにしているかも知れない述べておられました。またそのような神様の存在は科学的には証明も否定もできません。とも述べておられます。

神様の例えは、こう言っては失礼ですが、あなたが比較対照のために出された地動説そのものですら、よく理解されていない可能性があることを、お相手が感じられたように見受けられます。貴方の返答は、それが正しいことを示しています。

> これが抽象的でないと言われますか?

非常に具体的です。

> こうしたご返答を続けるならばこれ以上私は論議を続ける意志はありません。

貴方のために、そうされることをお勧めします。

貴方の議論方法は、
「それなら、今すぐ、この場所で俺様を納得させてみろ。え〜っ??何々??全然わからないよ。何言ってるかわからない。だからぁ、何度も言うけどわからないの。結局、貴方の言ってることは自己満足の言葉遊びだね。アナだらけだし。貴方は神を否定したいのかもしれないのだけど、そんなんじゃダメダメだね。出直して来な。じゃあね。」
というのと、寸分も違わないものです。貴方は楽だけど、これじゃ相手も大変だ。

貴方には、論敵が説得できなかったという勝利感が残るでしょう。貴方に知りたいという気持ちや、人の言葉に謙虚に耳を傾ける姿勢がない限りは、貴方の自己満足とおかしなログ以外のものは生み出しません。


[724] Re: 横横レスですが 投稿者:jw 投稿日:2004/02/14(Sat) 14:46

Feelgoodさん

私はあまり利口ではないようなので最初の質問にあるように
現実の証拠とは何か?と言う点を提示していただけますかという
事柄が当初からの私のスタンスです。

それでFeelgoodさんに対しては私なりに意見はありますが
言葉を巡る論争は私の望むところではありませんので
これ以上のコメントは控えさせていただきます。

以上です。



> jwさん
>
> > 何度も申し上げるのですが…下記のような単なる言葉による論議を私は望んではおりません。
>
> 貴方の質問以上には具体性があると思います。貴方のお相手は、貴方に参考文献まで教示して下さる旨提案されていますが、それはスルーですか。
>
> 質問の意図が通じていないと貴方が感じられるなら(私にはそのようには見えませんが)、質問を変える、より具体的に例えを用いてわかりやすく質問し直す、というのはエホバの証人も教えられていることでしょう。貴方はより具体的な質問をすることによって、ご自分の理解度が表に出てしまうのをおそれているようにしか見えないのですが、誤解でしたらご自身の行動で示して頂ければ、と思います。
>
> > NATROMさんは将来地動説が覆る可能性としての根拠として神様がそのように見えるようにしているかも知れない述べておられました。またそのような神様の存在は科学的には証明も否定もできません。とも述べておられます。
>
> 神様の例えは、こう言っては失礼ですが、あなたが比較対照のために出された地動説そのものですら、よく理解されていない可能性があることを、お相手が感じられたように見受けられます。貴方の返答は、それが正しいことを示しています。
>
> > これが抽象的でないと言われますか?
>
> 非常に具体的です。
>
> > こうしたご返答を続けるならばこれ以上私は論議を続ける意志はありません。
>
> 貴方のために、そうされることをお勧めします。
>
> 貴方の議論方法は、
> 「それなら、今すぐ、この場所で俺様を納得させてみろ。え〜っ??何々??全然わからないよ。何言ってるかわからない。だからぁ、何度も言うけどわからないの。結局、貴方の言ってることは自己満足の言葉遊びだね。アナだらけだし。貴方は神を否定したいのかもしれないのだけど、そんなんじゃダメダメだね。出直して来な。じゃあね。」
> というのと、寸分も違わないものです。貴方は楽だけど、これじゃ相手も大変だ。
>
> 貴方には、論敵が説得できなかったという勝利感が残るでしょう。貴方に知りたいという気持ちや、人の言葉に謙虚に耳を傾ける姿勢がない限りは、貴方の自己満足とおかしなログ以外のものは生み出しません。


[727] Re^2: 横横レスですが 投稿者:Feelgood 投稿日:2004/02/15(Sun) 15:50

jwさん

> 私はあまり利口ではないようなので最初の質問にあるよう現実の証拠とは何か?と言う点を提示していただけますかという事柄が当初からの私のスタンスです。

・jwさんは「地動説と同等の進化論を裏付ける証拠」を提示してほしいという横レスを入れました。注:jwさんから始めたのですよ。

・NATROMさんからは、
1.いくつかの証拠
2.必要なら参考文献を提示するという提案
が提示されました。

・jwさんは2.については無視、1.については「抽象的だ」と退けられました。そして最初の質問に「現実的な」と言う文言を付加しただけの「地動説と同等の進化論を裏付ける現実的な証拠」を要求されました。

・NATROMさんからは、
3.『jwさんのいう「現実的な証拠」とはたとえばどのようなものなのか、教えてください。』
と言う質問が出ました。これは、jwさんの質問があまりに「抽象的」なので、どの程度の具体性が要求されているのかを知るためにも、またjwさんがどの程度の土台を共有しているのかを知るためにも、当然の質問です。対話者が、どの程度の前提知識(共有点)を有しているのか、返答にどの程度の具体性が必要なのかを知ろうとするのは、対話のイロハです。jwさんは、これを攻撃と受け取ったのかもしれませんが、質問したのはjwさんです。

・jwさんは3.については無視、そして最初とほぼ同じ質問に、「化石の記録に関しては」の文言を付加しただけの質問を三度目ですが、繰り返しました。(効果的な質問方法でしょうか。野外宣教や研究司会でこのようなことをしたら、喧嘩になりませんか?)

・NATROMさんからは、
「化石の記録に関しては」の部分に対する返答に加えて、3.が無視されているとの指摘がありました。

・それに対して、jwさんからは
4.NATROMさんの返答にはツッコミどころが満載である
5.これ以上議論しても時間の無駄である
6.NATROMさんがそれで証拠だと思うのなら、それで結構
7.もともと時間の取られるこうした論議はわたしの当初から望んでいるところではなかった

4.5.6.は実質jwさんからの勝利宣言です。その勝利を、ほんの一例でもいいから「具体的」にツッコんで示して頂きたかったです。残念ながら、3.に返答しない以上、何をもって「具体的」、「抽象的」、「現実的」とするか、の判断基準は全てjwさんの手の内で、その点を質問されても無視するのですから、対話の成り立ちようは初めからなかったというべきでしょう。jwさんは、相手の質問には一切答えず、貴方が納得するまで、ダメ出しを続けるつもりだったのでしょうか。そして、相手の返答を全部まとめて「時間の無駄」ですか。面と向かっていえますか。そんな人と対話している人の気持ちを考えてご覧なさい。

7.に関してですが、jwさんが3.をスルーされたように、3.に返答するには、相手(NATROMさん)の知識レベルによっては、膨大な時間がかかることが容易に想像できます。jwさんが時間がないとおっしゃるのもわかります。ただ、3.と同様に、jwさんが最初にした質問も、質問者(つまりjwさん)の知識レベルによっては、回答者は相当な時間を必要とすることがわかりませんか。NATROMさんが、2.の提案をされたのも、それが理由でしょうが、最初に横レスを入れたjwさんは、どうもわかっていらっしゃらないようです。NATROMさんが、jwさんに対して、時間がない、時間の無駄などという話を、一度でも持ち出しましたか。時間がないのは、jwさんだけではないのです。

付言しますが、地動説・進化についての知識が少ないことは、恥でも何でもありません。尊大な振る舞い、無礼な言動、卑怯な言動、不誠実な言動は恥だと思っていますが。

以上のことを考えると、jwさんの議論方法やスタンスは、私が先日上げたものと全く同じであると考えます。エンディング(相手のせいにして勝利宣言)は想像で書いたのですが、そこまで現実のものになってしまいました。

> 言葉を巡る論争は私の望むところではありませんのでこれ以上のコメントは控えさせていただきます。

jwさんのために、今後もそうされた方がいいでしょう。

以上です。


> 貴方の議論方法は、
> 「それなら、今すぐ、この場所で俺様を納得させてみろ。え〜っ??何々??全然わからないよ。何言ってるかわからない。だからぁ、何度も言うけどわからないの。結局、貴方の言ってることは自己満足の言葉遊びだね。アナだらけだし。貴方は神を否定したいのかもしれないのだけど、そんなんじゃダメダメだね。出直して来な。じゃあね。」
> というのと、寸分も違わないものです。


[732] Re^3: 横横レスですが 投稿者:jw 投稿日:2004/02/15(Sun) 21:55

Feelgoodさん

あなたのお書きになった文章は
一応精読いたしました。

敵意とあら探しの内容にコメントは無意味ですので
これにて終わりましょう。


[734] Re^4: 横横レスですが 投稿者:Feelgood 投稿日:2004/02/16(Mon) 01:04

> あなたのお書きになった文章は一応精読いたしました。

ありがとうございます

> 敵意とあら探しの内容にコメントは無意味ですので

敵意とあら探しですか・・・
貴方の文章は「あら探し」ができるほど長くありません。貴方は敵にあら探しをされることを恐れて、あのような議論スタンスをとったのですか。貴方がNATROMさんの投稿から「敵意」を感じ取って、ハリネズミのように全身防御をかためて、貴方の言われるところの「あら探し」をされないように、相手の質問は無視して、同じ質問を何度も繰り返していたのなら、私は貴方の感情に対する配慮が足りなかったかもしれません。ただ、それは、傍目からは、尊大な態度にみえることもご理解下さい。議論の姿勢としてはあまり感心できませんよ。

> これにて終わりましょう。

それがよろしいと思います。


[675] Re: 進化論への誤解 投稿者:ピクセル 投稿日:2004/02/04(Wed) 22:51

 内村さん。丁寧なレスありがとうございます。


>
> まず誤解を解きたいと思います。
> 私は「進化論は、進化という事実を問題にした仮説である」とは言いましたが、「進化論が事実である」とは一度も述べておりません。
>
 つまり、“進化は事実”なわけでしょ。“進化論”とは前にもいましたが“説”であり、まだ“事実ではない”のです。科学的検証がクリアされていないのです。誰一人として、単純生物が、より複雑な生物へと進化していく“様”を見ていないのです。ですから“進化”は“論”つまり“説”なのです。同様に創造説もそう。神が生物を造った場面を“見ていない”つまり実証していないのでこれも“創造論”です。進化と進化論を区別しているようですが、私は区別していません。

> あなたも協会の論法も、科学者が「“自説のぶつけ合い”をして」いることを理由にして、「進化論は事実でない」という主張をよくします。これは喩えるならば、ある患者の治療方針をめぐって外科医や内科医などの各科のチームが議論をたたかわせてなかなか意見の一致を見ないのを見て、「患者は病気ではない」というようなものです。医師たちの意見が一致しないのは治療の内容であって、患者が病気であるという事実について疑っているわけではありません。
>

 いいえ。このたとえはおかしいです。病気の治療は同じ病気でも様々なものがあります。たとえ医者同士意見が合わなくても、要は病気が治ればいいだけです。
 ですがこの生命誕生説は別問題です。“どう誕生したのか”で意見が分かれているが答えは“一つだけ”です。


> 同様に、科学者も進化がどのように起きたのかということについては議論をたたかわせていますが、進化という事実について疑っているわけではないのです。「科学者が“自説のぶつけ合い”をしているから進化論は事実ではない」という意見を当の科学者たちが聞いたらビックリしてしまいます。
>
 それもおかしいです。あなたは学校で進化論について、授業や、カリキュラムを受けられたでしょうか?
 進化論を学んでいくにつれ、様々な学説にぶつかり、解釈さえままならないのです。そんないい加減な科学レベルで、「でもとりあえず進化は事実」はあり得ないのでは?
 それでは「まず犯人ありき」で逮捕をし、証拠はあとから、といった理屈と一緒ですよ。


> さらに別の誤解も解きたいと思います。
> 進化論を研究している人は、神の非存在を証明しようなどとはまったく考えていません。少なくとも進化論を使ってそれを証明しようとは考えていません。科学としての進化論はどこまでも事実を問題にしているからです。進化論者が即無神論者なのではまったくありません。キリスト教徒の科学者はたくさんいます。
>

 残念ながらいくらクリスチャンで進化論を信じても“聖書の教え”ではない以上、何の説得力もありません。神を信じるのは個人の自由。しかし、進化論を信じているクリスチャンがいるから進化論は正しい、なんてそんな幼稚な理屈は通用しません。
 聖書は“その種”つまり始めからその種類に応じた創造をしました。

> 進化論を研究している人は、生命が偶然に生じたことを示したくて進化を研究しているわけではありません。進化を研究することと、生命の起源を研究することは全然別のことです。
>

 私は、“一緒”と考えています。そうでなければ進化論者は創造説に“歩み寄っただけ”ですから。

> 「まず最初に“エネルギーありき”という見方を支持する点で、ビッグバン説を用いている」が、「ビッグバン宇宙誕生論は協会の宇宙誕生に関す考え方とは相反して」いるのですか?おっしゃることがわかりません。
>

 ビッグバン説はあくまで“莫大なエネルギーが最初に必要”という理論に対し、聖書にはそのエネルギーの源が“神である”と言うことを言わんとしているだけです。ビッグバン説は一部の天文学者には受け入れられてはいません。

> 『創造者』の本78頁の「どう結論されますか」の、宇宙に「始まりがある」とする立場はビッグバン宇宙論を支持してはいないのですか?「宇宙に始まりがあるが、ビッグバン宇宙論は支持しない」というのが私には理解できないのですが…。
>
 始まりがあることと、ビッグバンにより宇宙が誕生したのとでは意味が違います。もう一度創造の本をご覧下さい。


> あなたがホーキングの話を持ち出されたことから私はそれにお答えしたまでです。ホーキングの考える神がJWの神概念に縛られる必要はないでしょう。だから私は物理学者の言う神と断ったのですが・・・。
>
> >  それは“誤解”です。すでに存在する“自然科学”“物理科学”等は明らかに科学です。宗教ではありません。
>
> あなたは、「学校で進化論の授業を受けても、創造論を信じる人がいるくらいですから。そういった視点をもって、“りっぱな科学”と言っても誤りありません。」とおっしゃっています。創造論は「信じる」ものであり、その創造論も科学であるというのであれば、あなたにとって科学とは信じるものになっていることをあなた自身が示しています。
>

 このたとえは“学校での科学授業”です。その授業に出席し、テストを受けたとしても、その人が進化論者になるという意味ではない、と言うことを言いたいのです。また、進化論は科学であるが創造論は宗教と主張する内村さんの意見に反論したまでです。
 もう一度、私のレスを見ていただければ私の主張は一貫している事が分かるはずです。科学の視点で考えれば進化論も創造論も“科学”になるが、“どちらを信じるか”と言うことになれば、それは“信仰になる”ということを訴えたかったのです。

> > それは未だ“完全なる解答”を得られていない“進化論”を科学的と主張するあなたにも同じ事が言えるのではないでしょうか。
>
> 先回私が示したポパーの科学論から、「完全なる解答」をそもそも否定しているのが今日の科学者の大半の科学論であることはご理解いただけたでしょうか?そして、それを理解していれば、上のような言葉もでてこないことには同意していただけるでしょうか?
>

 私個人の意見はそもそも答えを見いだすのが“研究者の務め”と考えております。ポパーがそう言ったとしても、それは私から言わせれば、「答えなんてどうでもいい」というふうにしか聞こえません。
 科学による研究と探求の努力を全否定しているとしか思えません。

> 科学者が仮説を立てる際、時に宗教的なまでの個人的な信念や信仰が入り込み、インスピレーションに影響を与えたり役立ったりすることは当然あります。しかし、それを科学理論として打ち立てる際には、科学の世界で決められたルールに従わなければなりません。そのひとつが既に触れたポパーの「反証可能性」です。科学理論はその篩にかけられ得るようなものでなければならず、他者による追試ができるようなものでなければなりません。その意味で根本的に思想やイデオロギーから自由でなければなりません。ですから、ある科学者が仮に個人的な信仰で仮説を打ち立てても、それが上のルールを守っていないものである場合、その仮説の正しさはいつまでたっても証明できないことになります。逆に、ルールを守った仮説であれば、それが仮にどんな信仰を起源にしていようとも、その信仰とはまったく関係ない他者による追試で仮説の正しさがテストされ、正しければ生き残り、そうでなければ淘汰されます。いずれも信仰とはまったく関係なしに。それだけのことです。
>

 この意見には同意します。しかし内村さんの引用されているポパーは実にいい加減ですね。「完全なる解答」がどうでもいいなら、ルールにのっとった仮説の証明は不要でしょう。解答なんて否定されている以上ルールも不要ですよね。


> 進化論は思いっきり「私達の生活、人間社会に応用されています」よ。それを顕著に示す名前の学問は「進化心理学」でしょう。人は様々な顔の中からあるものを「美人」と表現し、あるものを「醜い」と表現します。顔の造形がなぜ「美醜」という価値的な指標を含んでしまうのでしょうか。顔の造形は本来、本人の責任ではないはずですが、明らかに現実には差別が存在します。それはなぜか、そのメカニズムは何か、差別を解消するにはどうすればいいのか、そうしたことを研究するのに進化心理学は役立っています。
>

 進化心理学は、日常では役立っていませんが…。私の生活には…。

 内村さんが熱心にカキコして下さり感謝します。しかし私も大学で人並み程度の進化論を学んだ者として、これほどアナだらけの学問もおもしろいと思いました。教授ですらそう言っていたのですから。
 まだまだ発展途上の学問。しかしそれでも内村さんがそれを“信じている”ならそれはりっぱなことでしょう。そしてそれは私から言わせれば“信仰”なんです。


[679] Re^2: 進化論への誤解 投稿者:NATROM 投稿日:2004/02/05(Thu) 13:06

みなさん、こんにちは。NATROMと言います。私のサイトへのリンクが張られているのやってきました。進化論と創造論については、人よりもちょこっとは詳しいつもりなので、私の発言がみなさんの疑問を解消できればうれしく思います。

結論から申しますと、進化は科学的事実です。現在、発言に根拠を求められる公的な場で進化を否定する科学者はいません。「より複雑な生物へと進化していく“様”を見ていない」からといって進化が事実でないとするならば、大陸が移動するという説や地球が太陽の周りを回っているという説だって、事実ではないです。誰も大陸が移動するところや太陽系の外から地球が太陽の周りを回っているところを見た人はいません。その代わりに、いろんな観察や実験によってそういう説の正しさを根拠付けてられているわけです。

進化についても、さまざまな観察によって、科学的事実であると言えます。少なくとも地動説と同じくらいは確からしい仮説です(つまり地動説と同じくらいにしか確からしくない)。科学者たちは「とりあえず進化は事実」としたわけではありません。19世紀ごろから証拠を積み重ねていって、ようやく確からしいと認められたのです。それらの証拠の細部について異論・質問があれば受け付けます。しかしながら、私の経験では、進化が科学的事実であることに反対する人は例外なく、これら進化を支持する証拠について無知だったり、何か誤解をしていたりします。進化論が「アナだらけの学問」だとすれば、そのアナを指摘していただければ幸いです。「教授ですらそう言っていた」というのは根拠になりません。その教授がアホなだけか、ピクセルさんがその教授の主張を誤解していただけという可能性が強そうです。(ある特定の進化学説がアナだらけってことはありうる。ウイルス進化論はアナだらけだ)

とりあえず、進化が科学的事実であることを否定しているまともな科学者はいない、ということには同意いただけますでしょうか?もしいるのであれば、その科学者の名前とその主張を、原典を明確にして示してください。エホバの証人のパンフレットには、不完全な引用によって一見そのような主張をしているかのように引用されていることもあるので注意してください。ちなみに、大学で人並み程度の進化論を学んだ者であれば、エホバの証人のパンフレットの間違いを一つ二つと言わず、たくさん発見できると思います。

http://www.meken.med.kyushu-u.ac.jp/~tosakai/cite.html


[686] Re^3: はじめまして 投稿者:内村 投稿日:2004/02/06(Fri) 15:10

NATROMさん、はじめまして。
内村と申します。勝手にリンクを張ってしまい申し訳ありませんでした。
すばらしいサイトなので、進化論を誤解している人にぜひ読んでもらいたいと思って紹介してしまいました。

> 進化についても、さまざまな観察によって、科学的事実であると言えます。少なくとも地動説と同じくらいは確からしい仮説です(つまり地動説と同じくらいにしか確からしくない)。

「地動説と同じくらいにしか確からしくない」、つまり仮説であるということに執着して、お門違いの批判をする人たちが結構いるのを見てきました。エホバの証人の記事にも見られます。エホバの証人の機関紙『目ざめよ!』誌1981年12/22号 P18‐19を以下に引用します。進化の問題と進化「論」の問題を混同させた議論をしています。(この1981年12/22号は一冊まるまる使って反進化論を書いた「特集号」となっていますので、エホバの証人の記事の進化論に対する誤りや欺瞞を見つけやすいものとなっています)

*** 目81 12/22 18‐19ページ それは事実か ***
進化は科学の事実でしょうか。スミソニアン研究所の科学者ポーター・キールはそう断定しています。(中略)
有名な進化論者テオドシウス・ドブジャンスキーはこれほど独断的ではありません。「進化」と題する本の中で,ドブジャンスキーとその共同研究者たちは,これを仮説もしくは理論と述べ,さらに,「科学の仮説は,その真実性を最終的に確立することが決してできないので,一時的に受け入れられるに過ぎない」点を認めています。同氏はまた,カール・ポッパー博士の意見を権威ある論拠として引用して,「少なくとも原則的には,経験(実験)により誤りが立証される可能性のない仮説は科学の分野に属するものではない」とも述べています。ハーバード大学のスティーブン・ジェイ・グールドもポッパーの言葉を引用し,「一連の思考で,原則的にその誤りを立証できないものは,科学ではない」と語っています。
***引用終わり

> ちなみに、大学で人並み程度の進化論を学んだ者であれば、エホバの証人のパンフレットの間違いを一つ二つと言わず、たくさん発見できると思います。

私もこの点同感です。科学と疑似科学を分ける視点を持つことの大切さを実感しています。


[680] Re^3: 進化論への誤解 投稿者:ピクセル 投稿日:2004/02/05(Thu) 18:15

NATROMさん。初めまして。ピクセルです。

あなたと語り合う前に、申し上げますが、私は進化論に関する知識はあまりありません。しかし、聖書に対する知識はあります。
 ですが“専門分野”を武器にして進化論者を論駁するつもりはありません。また、NATROMさんが進化論に関する専門用語で反駁しても、私は相手にしません。この掲示板は“公開の場”である以上、このサイトを見る多くの人が、理解の程度の差はあれど、“話しについてゆける”ものが望ましいと思うからです。
 内村さんのレスは残念ながら、知識が豊富なせいか、話しが多方面に及び、理解しづらい印象を受けました。それはきっと、一般に知られていない知識を駆使していたことによるのでしょう。
 ですからNATROMさんと語り合えるなら、生意気言いますが、より分かりやすいものが望ましいです。私が聖書に関する専門用語を避け、進化論を基本的におおざっぱに見なしているのもそのためです。
 “どの進化論か”とか、“進化論の定義は?”と内村さんが尋ねられたとき、普通の人は“えっ?サルから進化したことを進化論って言うんじゃないの?”と思うわけです。この時点で、“科学者の誤り”に気づいて欲しいです。私にとっての科学とは、“人類にとって有益である”という思想を持っています。(もちろん“原子力”のように使用目的を間違えると人類にとって脅威になるものもあることは認めます)ゆえに“一般の人さえ知らない科学”を根拠に、「知ろうとしないから悪い」というのは、最悪のパターンです。
 ですので、あなたが「正しい」と主張しても、一般に分かりづらく、また検証さえ不十分で、しかも○○理論より証明されていると述べたところで、その線引きはなんであなたが決めるの?と言うことになるでしょう。
 何度も言いますが、進化論は私にとって“信仰”の分野です。
あなたが“検証可能”と論じたところで、検証方法は結局の所“進化論者”たちなのです。内村さんが言うように“第三者の存在”がいなければ“進化論の証明”は出来ないと私は見ます。その第三者とは“一般人”ではないでしょうか?

 私の考え、思考、そして思想を理解した上でレスをいただければ私も時間が許す範囲でカキコしたいと思います。

 生意気言うようで申し訳ありません。


[689] Re^4: 進化論への誤解 投稿者:NATROM 投稿日:2004/02/06(Fri) 18:24

ピクセルさん、こんにちは。レスありがとうございます。まず、二つほど質問をさせてください。

1) 「大学で人並み程度の進化論を学んだ」のですか?それとも、「進化論に関する知識はあまりありません」のでしょうか?どちらでしょう?

2) ある学説についての知識があまりない人が、その学説を「アナだらけの学問」だと評価することは可能でしょうか?


「一般の方々にわかるように平易に話せ」とのことですが、私のサイトではその点に配慮しているつもりです。質問も随時受け付けておりますし、さらに詳しく知りたい人のために参考文献も提示しております。そもそも、進化論にあまり知識がなくても、一般の人たちは進化を否定したりはしません。なんとなく納得していたり、あるいは納得していなくても判定を保留しているでしょう。普通の人であれば、「進化論はアナだらけの学問」と言うためには、進化論についてに知識が不可欠であることについてわかっているのです。まともな人であれば、進化について知識のない人は進化をことさら否定しませんし、進化を否定したいのであればまず進化について学ぶでしょう。信仰ゆえなのか、愚かさゆえなのか、進化について知識があまりないのにも関わらず、進化論はアナだらけの学問などと評する人もたまにいますが、そういう人たちを一般人であるとは私はみなしていません。


>何度も言いますが、進化論は私にとって“信仰”の分野です。
>あなたが“検証可能”と論じたところで、検証方法は結局の所“進化論者”たちなのです。内村さんが言うように“第三者の存在”がいなければ“進化論の証明”は出来ないと私は見ます。その第三者とは“一般人”ではないでしょうか?

「地動説はアナだらけの学問です。地動説は信仰なのです。検証可能と論じたところで検証は地動説論者がするのです。でも、私は地動説についての知識があまりないので詳しい議論はできません」という主張について、一般の人々はたとえ地動説に関する知識がなくても、そんな主張が正しいとは思わないでしょう。ちなみに進化が科学的に正しいかどうかを検証したのは、進化論者だけはありません。ダーウィンの時代、多くの人たちは創造論をとっていました。進化に関して否定しがたい証拠がたくさんあったので、その人たちは創造論を捨てて、進化論を受け入れたのです。

ある分野の学問についての妥当性を問おうとするならば、その分野についての知識は不可欠です。そして、その知識は一朝一夕で得られるものではありません。学問に王道はないのです。しかしながら、進化や科学哲学についての知識がなくても、以下の点については、“話しについてゆける”ものと思います。

・進化論の妥当性について議論するには、進化論についての知識が不可欠である。進化論が科学であるかどうかを議論するには、科学哲学についての知識が必要である。進化論はアナだらけと評しておきながら、進化論について知識がないと逃げるのは卑怯である。

・進化について十分な知識を持った人で、進化が科学的事実であることを否定している人はいない。少なくとも、反例をピクセルさんは一例も挙げることができなかった。


世の中には、相対性理論を理解していないのに「相対性理論は間違っている。相対性理論は信仰だ」と主張する人たちもいます。私たちの多くは相対性理論を理解していませんが、そのような主張がおかしいことは理解できます。直感的には光速に近くなると時間の進みが遅くなるなんて納得しにくいのですが、さりとて「相対性理論は信仰だ」とは考えません。

ポパーについてもピクセルさんはひどい誤解をしています。その誤解を指摘するにはそもそも科学哲学とはなんぞやというところからはじめないといけないので大変です。ピクセルさんは科学哲学についての本を数冊読む努力すらしないで科学と非科学の問題について議論しようとしている、と指摘するにとどめたいところですが、この件に関しては一般の方もご存じないことが多いと思われますで、ピクセルさんが望むのであれば、ピクセルさんのどこがまずいのか指摘してもよいです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%96%91%E4%BC%BC%E7%A7%91%E5%AD%A6#反証不可能性


[682] Re^4: それはおかしいのでは? 投稿者:内村 投稿日:2004/02/06(Fri) 01:23

「しかし私も大学で人並み程度の進化論を学んだ者として、これほどアナだらけの学問もおもしろいと思いました。」とピクセルさんが書いておられるその根拠を教えてくださいと言っているだけなのですから、変に警戒することなくピクセルさんがお考えになったことをそのまま書けばよいだけではないでしょうか?そうでないと、ピクセルさんの進化論への意見が根拠のないただの誹謗になってしまいますよ。「私は相手にしません。」ではあまりに傲慢では?

>  ですが“専門分野”を武器にして進化論者を論駁するつもりはありません。また、NATROMさんが進化論に関する専門用語で反駁しても、私は相手にしません。この掲示板は“公開の場”である以上、このサイトを見る多くの人が、理解の程度の差はあれど、“話しについてゆける”ものが望ましいと思うからです。

これもおかしいですよね。逃げの正当化に見えます。なぜなら、誰がどの話題を出すかに制限はないはずですし、読み手も読む記事を選ぶ自由があります。自分の関心と関係ないと思えばスルーするだけです。

>  “どの進化論か”とか、“進化論の定義は?”と内村さんが尋ねられたとき、普通の人は“えっ?サルから進化したことを進化論って言うんじゃないの?”と思うわけです。

これは「大学で人並み程度の進化論を学んだ」ピクセルさんにお尋ねした質問なのですから、普通の人への質問とはわけが違います(とうとう私にもピクセルさんの進化の定義を教えていただけませんでしたが)。

それに、NATROMさんのHPは初心者にもわかりやすいようにとても配慮してくださっていると思いますよ。


[684] Re^5: それはおかしいのでは? 投稿者:ピクセル 投稿日:2004/02/06(Fri) 02:02

内村さん。やっぱりレスしたのですね。では…
あなたが引用したポパーについての私の意見にあなたがどう感じているのか答えて下さい。
 あなたはポパーという人が語ったからそうだというのでしょうか?裏付けとなる何かを示して下さい。誰かが言ったからそうだと言われても、私は最初から進化論は信仰であるとの主張を繰り返していますので、あなたがポパーの記したものを信じるならそうでしょうが、きちんと筋道立てて説明をして下さい。私が「ものみの塔にはこう書いてあるからこうだ!」と言ったたぐいのレベルですから。


> 「しかし私も大学で人並み程度の進化論を学んだ者として、これほどアナだらけの学問もおもしろいと思いました。」とピクセルさんが書いておられるその根拠を教えてくださいと言っているだけなのですから、変に警戒することなくピクセルさんがお考えになったことをそのまま書けばよいだけではないでしょうか?そうでないと、ピクセルさんの進化論への意見が根拠のないただの誹謗になってしまいますよ。「私は相手にしません。」ではあまりに傲慢では?


 いいえ。何を答えようが私の自由です。私のスタンスをNATROMさんに知っていただきたかっただけですが…


> これもおかしいですよね。逃げの正当化に見えます。なぜなら、誰がどの話題を出すかに制限はないはずですし、読み手も読む記事を選ぶ自由があります。自分の関心と関係ないと思えばスルーするだけです。
>

 ですから私のスタンスを示しただけです。“逃げ”と感じるならそれでいいのでは?私は今のところ答えていますよ。それに内村さんとのやり取りは話題が多角的な方向へと進むきらいがあります。私の考えさえ、内村さん自身把握していないようです。それでは、自由にカキコしたところで“机上の推論”に終わるだけです。
 レスしあっても余り意味がなければ時間の無駄になるのでは?

> >  “どの進化論か”とか、“進化論の定義は?”と内村さんが尋ねられたとき、普通の人は“えっ?サルから進化したことを進化論って言うんじゃないの?”と思うわけです。
>
> これは「大学で人並み程度の進化論を学んだ」ピクセルさんにお尋ねした質問なのですから、普通の人への質問とはわけが違います(とうとう私にもピクセルさんの進化の定義を教えていただけませんでしたが)。
>
 普通の人と私が違う?私も一般人です。エホバの証人なだけです。
 創造説を信じているだけです。
 では、内村さんの進化の定義を教えていただけないでしょうか?
 私なりの進化の定義は“単純生物から高度な生命形態への変化”と考えています。しかし単純生物も“何かからの進化”なはずです。ですが私はそこまで行けば進化では答えを見いだせないと理解しております。だからといって神が最初に単細胞を造り、その後進化の過程を通して幾多の生命体が存在するようになったとは思ってもいません。

> それに、NATROMさんのHPは初心者にもわかりやすいようにとても配慮してくださっていると思いますよ。

 そうですね。分かりやすいです。参考にはなりました。しかしエホバの証人の出版物も分かりやすいですよ。進化論者の中には「実に幼稚」という意見もありますが…。


[688] Re^6: それはおかしいのでは? 投稿者:内村 投稿日:2004/02/06(Fri) 15:17

なんだか、開き直りと論点のすり替えばかりのお返事で残念です。そんなに感情的にならないでください。なにをそんなにビクビクしているのですか?あなたは進化論を誠実に吟味して「科学ではなく信仰だ」と判断されたのですよね?それを大学教育や個人的な調査で確信された。その根拠を教えてくださいと人から頼まれたとき、どうして渋る必要があるのかと普通は思うわけですよ。「何を答えようが私の自由」と対話を拒否される理由がわかりません。何か不都合なことでもあるのでしょうか?ピクセルさんにとって、「進化は事実の問題ではなく信仰の問題である」必要でも?

「ポパーについての私の意見にあなたがどう感じているのか答えて下さい」という依頼に私が答えることは当然できますし、するべきかもしれませんが、今それに乗ってしまっては議論が蛇行してしまいます。それに、私が「感じている」主観的な感想を述べて実りある議論ができるのかという疑問もあります。(ちなみに、協会もポパーを引用して自説の(誤った)強化に利用していることは以前示したとおりです。)


[690] 一つ質問です。 投稿者:元信者です 投稿日:2004/02/06(Fri) 20:36

便乗して一つ質問です。
内村さんは、聖書の創世記をどのくらい信じてますか?
アダムとエバの話や、蛇への刑の宣告は信じていらっしゃいますか?

アダムにはお父さんがいたと思いますか?それは誰ですか?
エバには人間のお母さんみたいな人がいましたか?


[692] Re: 一つ質問です。 投稿者:内村 投稿日:2004/02/07(Sat) 15:08

スレ違いだと思うのですが…。
元信者さんは、JWに戻りたいと思っておられるのですか?
聖書に対しての考えはどのようなものなのですか?


[693] Re^2: 一つ質問です。 投稿者:元信者です 投稿日:2004/02/08(Sun) 01:32

>スレ違いだと思うのですが…。

この質問はスレを作成したあなたのお考えの趣旨をはっきりさせます。
そして非常にシンプルな質問です。

>元信者さんは、JWに戻りたいと思っておられるのですか?
>聖書に対しての考えはどのようなものなのですか?

(それこそスレ違いでは、と思う質問なのですが。)

はい。戻りたいです。
聖書は神によるものと考えてます。
エデンで始まった挑戦やその解決も現実のものと考えてます。

アダムの時代に人類が他にいて、それらが私たちの祖先であれば、
塵から造られた一人の人から広まった罪のための購い、
と聖書が述べる希望は、さほど意味のないものになります。

内村さんの場合は、聖書のこの教えをどう捉えてらっしゃるのか。
お尋ねしてよいですか?


[695] Re^3: 一つ質問です。 投稿者:内村 投稿日:2004/02/08(Sun) 13:41

> この質問はスレを作成したあなたのお考えの趣旨をはっきりさせます。

論点を整理するために申し上げておきますと、このスレは進化という科学的事実についての私の考えをはっきりさせたものであることをまずお断りしておきます。これから話すことはそれとは完全に別のことです。人間の宗教的態度の話です。

> はい。戻りたいです。
> 聖書は神によるものと考えてます。
> エデンで始まった挑戦やその解決も現実のものと考えてます。

別にあなたがJWに戻るのを私は止めはしません。私も、「聖書は神を指し示す書物」と考えています。とはいえ、「だから聖書は客観的事実を表した本として読むべきだ」とは思いません。JWは違うかもしれませんが、ある人が聖書を神の言葉と信じるのは、それが客観的に神の言葉だと証明できるからではありません。聖書を通して自分と神との間に絆ができたと確信するから信じるです。その人は神を愛するでしょう。しかし、それは神の存在が証明されるからではありません。その人の中で、神との間にひとつの関係、人格的な絆ができたということなのです。端的に言えば、それは客観的事実ではなく、実存的事実です。客観的事実に信仰は要りませんし、愛も要りません。それは信じたり愛したりするものではないからです。

ですから、私は同様にしてコーランを通して自分と神との関係を見出す信者がいてもそれを否定しようとは思いません。JW的な思考に慣らされているとこの辺がわかりにくいかもしれません。JW的なアプローチだと、コーランについて調べたこともないうちから、コーランが神の言葉であるという考えを否定しなければならなくなってしまうでしょう。ちょうど、進化論に対する姿勢と同じように(進化論は科学理論ですが)。イメージで言うと、強烈に肥大した自我があって、それに抵触してくるいかなる考えも(思想だろうが宗教だろうが科学だろうが)許さないというようなことになってしまうわけです。だからかはわかりませんが、「科学的」創造論を信じ、進化論を否定する人に共通しているのは、「調べもしないうちからの否定・質問」「事実ではなくドグマ先行の思考」「都合が悪くなったら無視」などの幼児的姿勢が散見されます。そして逆に、創世記1章と2章で創造物の創造の順番が矛盾しているなどの「客観的事実」を前にしてもなんとかそのつじつまあわせに終始しなければならなくなります。聖書崇拝もひとつの偶像崇拝ではないでしょうか。信仰の姿勢としても私は共感できません。


[696] Re^4: 一つ質問です。 投稿者:元信者です 投稿日:2004/02/09(Mon) 10:50

>このスレは進化という科学的事実についての私の考えをはっきりさせ
>たものであることをまずお断りしておきます。

親切な解説、ありがとうございます。
あっちの本題スレの流れを尊重しながら書き込みします。

>これから話すことはそれとは完全に別のことです。
>人間の宗教的態度の話です。
> 別にあなたがJWに戻るのを私は止めはしません。

ありがとうございます。

>私も、「聖書は神を指し示す書物」と考えています。
>とはいえ、「だから聖書は客観的事実を表した本として読むべきだ」
>とは思いません。

アダムの創造についていえば、
それを客観的な事実とは思わない、ということですか?

>ある人が聖書を神の言葉と信じるのは、
>それが客観的に神の言葉だと証明できるからではありません。聖書を
>通して自分と神との間に絆ができたと確信するから信じるです。

前者もよいですが、後者も良い方法ですね。
内村さんご自身は後者のほうですか?

>その人は神を愛するでしょう。
>しかし、それは神の存在が証明されるからではありません。
>その人の中で、神との間にひとつの関係、
>人格的な絆ができたということなのです。

つまり、客観的に見て、
その人は神に愛されているわけではないのですよね。
神の側からみたら、どうなのでしょうね。

>端的に言えば、それは客観的事実ではなく、実存的事実です。
>客観的事実に信仰は要りませんし、愛も要りません。
>それは信じたり愛したりするものではないからです。

本題に戻してごめんなさい。
福音書のイエスはアダムが存在してたことを信じていましたね。
それは実存的っておっしゃるほうの事実ですか?

> ですから、私は同様にしてコーランを通して
> 自分と神との関係を見出す信者がいても
> それを否定しようとは思いません。

ムスリムは身近にそれほどいないかもしれませんが、
日本では敬虔な方に会う機会が多いかもしれませんね。

>イメージで言うと、強烈に肥大した自我があって、
>それに抵触してくるいかなる考えも
>(思想だろうが宗教だろうが科学だろうが)
>許さないというようなことになってしまうわけです。

排他的ってことですか?

>だからかはわかりませんが、「科学的」創造論を信じ、
>進化論を否定する人に共通しているのは、
>「調べもしないうちからの否定・質問」
>「事実ではなくドグマ先行の思考」
>「都合が悪くなったら無視」などの幼児的姿勢が散見されます。

それは偏見かもしれませんよ。
あなたも本題スレで私からの質問を「無視」されてます。
「調べてないうちから」というあなたの姿勢を問うた質問でした。

>そして逆に、創世記1章と2章で創造物の創造の順番が
>矛盾しているなどの「客観的事実」を前にしても
>なんとかそのつじつまあわせに終始しなければならなくなります。

つじつま合わせようとする点は、
進化を信じてる人も創造を信じてる人も同じですよね・・・。
壁に当たるのは、進化論のほうが頻度たかそうですけど。

私の現役時代で、創世記の創造の順番の矛盾についての解説は、
理解の更新が一度あっただけと思います。

>聖書崇拝もひとつの偶像崇拝ではないでしょうか。
>信仰の姿勢としても私は共感できません。

聖書を厳格に解釈するのも、柔軟であるのも、
私にとって信仰の姿勢としてありえるものです。でもね、

罪が広まったのは、アダムとエバからということ。
エバを欺いた蛇には、刑の宣告と、胤の到来が語られたこと。
マタイとルカの系図は、約束の胤の資格を示すこと。
アダムに対応する購いとしてイエスが地に来たこと。

それらを退けることは、重大な背教ではないでしょうか。
人を進化の産物とすることは、まさにこれじゃないですかね。


[697] Re^5: 一つ質問です。 投稿者:内村 投稿日:2004/02/09(Mon) 15:18

> アダムの創造についていえば、
> それを客観的な事実とは思わない、ということですか?

そうですね。そうなります。

> 前者もよいですが、後者も良い方法ですね。
> 内村さんご自身は後者のほうですか?

そうです。誠実に調べていけば、前者の立場には含まれている問題が多過ぎることに気づかざるを得なくなります。自然科学にしろ聖書学にしろ、その方面の勉強をしたことがある人にとって、創世記の内容は客観的事実の記述としてではなく、寓話などとして映るでしょう(創世記のすべてがそうだとは言いません。そういえるほど私は勉強していません)。

> つまり、客観的に見て、
> その人は神に愛されているわけではないのですよね。
> 神の側からみたら、どうなのでしょうね。

「客観的に見てその人は神に愛されているわけではない」のではありません。「客観的に」はそれは究極的には「わからない」のです。「愛されていない」かどうかもわかりません。愛とは当事者間で確信するものであって、他者に客観的に「証明」できるものではないのです。「神の側」のことは神にしか分からないでしょう。

> 福音書のイエスはアダムが存在してたことを信じていましたね。
> それは実存的っておっしゃるほうの事実ですか?

それは分かりません。第一、他の人たちによって記録された福音書のイエスの言葉も、そのままそうだとみなすことはほとんどできないことが特に20世紀の聖書学の調査でかなり明らかにされています。まあ、イエスはアダムの存在を信じていたとは思いますけど。

> 排他的ってことですか?

その排他性が、本人の「幼稚」さから由来しているということです。

> >だからかはわかりませんが、「科学的」創造論を信じ、
> >進化論を否定する人に共通しているのは、
> >「調べもしないうちからの否定・質問」
> >「事実ではなくドグマ先行の思考」
> >「都合が悪くなったら無視」などの幼児的姿勢が散見されます。
>
> それは偏見かもしれませんよ。
> あなたも本題スレで私からの質問を「無視」されてます。
> 「調べてないうちから」というあなたの姿勢を問うた質問でした。

これまでのこちらのスレッドでの書き込みを見ていただければ私の言った性質が見て取れることは同意していただけると思います。あなたの質問を私が無視しているわけではありません。「都合の悪い質問」も別にありません。ご質問によっては観点がJW特有の前提がすでに入ってしまっているため、それにそのまま答えても私の考えを理解していただけないと思うものがあるからです。その理由は最後に後述します。

私は基本的に「調べてないうちから」断定するのは避けるようにしているつもりです。JWを辞めようか考えていたとき、聖書については特に調べました。その成立、背景については自分の中で納得するまで調べました。たとえば、イエスもその弟子もアラム語を話したのに、新約聖書はなぜすべてギリシャ語で書かれたのか(アラム語のキリスト教とギリシャ語のキリスト教の問題)、また、なぜ文字によるイエスの活動の記録は数十年もたってようやく行われるにいたったのか(口頭伝承と文書とではどちらが当時重んじられていたのか)、古代イスラエルの「堕落」とそれに対する預言者による糾弾の歴史はなぜ繰り返されたのか、そもそも「聖書」と今日われわれが認めている書物は実際にはどのようにして成立してきたのか、などなどの問題を古代の文献と綿密に比較検討して調査するという気の遠くなるような作業を、20世紀の聖書学者たちは行っており、これらの問題をかなり明らかにしているのです。

> つじつま合わせようとする点は、
> 進化を信じてる人も創造を信じてる人も同じですよね・・・。
> 壁に当たるのは、進化論のほうが頻度たかそうですけど。

進化が信じるものでないことは、もう十分すぎるほど説明がなされたはずです。それが理解できないで上のように言われても私としては閉口してしまうだけです。進化論は事実を問題にします。創造論はイデオロギーを問題にします。

> 罪が広まったのは、アダムとエバからということ。
> エバを欺いた蛇には、刑の宣告と、胤の到来が語られたこと。
> マタイとルカの系図は、約束の胤の資格を示すこと。
> アダムに対応する購いとしてイエスが地に来たこと。
>
> それらを退けることは、重大な背教ではないでしょうか。
> 人を進化の産物とすることは、まさにこれじゃないですかね。

まず、あなたは聖書を神からの言葉として絶対的な権威をそこに見、その書物が言っているからということでこれを受け入れていると思います。ところが、昔の人たちの認識はそうではなかったのです。そうした当時の人々の背景事情を踏まえたうえで考えると、旧約39巻がユダヤ教の聖典として定まったのがキリスト教会成立以後であった理由もわかりますし、キリスト教といえば聖書という「書物の宗教」の常識が定着したのが、実は16世紀の宗教改革以降であったということも分かります(それが分かるとルターの「聖書のみ」「信仰のみ」という言葉がいかに当時新鮮なものであったかも理解できます)。イエス自身、旧約をもちろんよく知っていましたが、それを絶対的な正当な権威とはみなしていません。むしろ、かなり批判の対象としていたところもあります(それが分かるとイエスの痛烈な律法主義批判が、当時の社会構造さらには宗教への批判であったことが理解できます)。つまり、あなたの聖書観は、端的に言えば16世紀以降にできあがったものを引き継いだものであり、聖書の歴史の中ではきわめて新しい見方なのです。聖書に出てくる人物たちが同じように考えていたと思っては間違いの元です。

断りを入れておきますが、私は別にあなたの信仰を覆そうなどとはこれっぽっちも考えていません。そうではなく、あなたの質問それ自体が、既に時代の見方に絡めとられた上での質問になってしまっているので、それに真正面から答えることがそもそも適当でないという構造的問題を述べているだけです。聖書を読むのにその成立の歴史や背景、当時の人々の皮膚感覚での常識といったものを無視してはその本来の意味を読み取ることはできません。2000年も前の言葉を自分の今の感覚の意味で読んでしまってはその真意は汲めないことの方が多いのです。


[698] 進化は罪の贖いと調和しますか。 投稿者:元信者です 投稿日:2004/02/10(Tue) 11:21

内村さんの考えを明らかにしてくださり、
ありがとうございます。

> 「客観的に見てその人は神に愛されているわけではない」のではありません。「客観的に」はそれは究極的には「わからない」のです。「愛されていない」かどうかもわかりません。愛とは当事者間で確信するものであって、他者に客観的に「証明」できるものではないのです。「神の側」のことは神にしか分からないでしょう。

私の質問の仕方が悪かったですね。
神の側から、だれかその人を「愛している」と言うことがあれば、
その言葉は第三者が事実として認めてもいいのでしょうか、
ということです。内村さんはそれを受け入れますか?

> > 福音書のイエスはアダムが存在してたことを信じていましたね。
> > それは実存的っておっしゃるほうの事実ですか?
>
>それは分かりません。・・・
>まあ、イエスはアダムの存在を信じていたとは思いますけど。

内村さんのこれまでの話からすれば、
実存的なものだ、客観的ではないといって一蹴できそうですが。
何か理由がありそうですね。

聖書学の中には、福音書の正確さに疑問を差し向ける考えのものも
ありますね。あまり進展していませんが。

> その排他性が、本人の「幼稚」さから由来しているということです。

私はそう思いませんよ。
人はアダムから罪を受け継ぎ、その罪を購うためにイエスがこられた。
その基本的な教えは幼稚さではなく、聖書に由来しますよ。
そして進化論は、その教えを損ないます。

進化論を事実とみなす内村さんは、
罪の購いの教えをどこまで信じられるでしょう。

購いの教えを「ハエにピンを刺して殺す」というたとえで
退けた人が昔いましたね。
内村さんの信じる進化論は、それとあまり変わらないと思いますよ。
聖書が「神を指し示す」と内村さんは仰いましたが、
本心では、神への信仰は、ほとんどないでしょ。

> > >だからかはわかりませんが、「科学的」創造論を信じ、
> > >進化論を否定する人に共通しているのは、
> > >「調べもしないうちからの否定・質問」
> > >「事実ではなくドグマ先行の思考」
> > >「都合が悪くなったら無視」などの幼児的姿勢が散見されます。
> >
> > それは偏見かもしれませんよ。
> > あなたも本題スレで私からの質問を「無視」されてます。
> > 「調べてないうちから」というあなたの姿勢を問うた質問でした。
>
> これまでのこちらのスレッドでの書き込みを見ていただければ私の言った性質が見て取れることは同意していただけると思います。あなたの質問を私が無視しているわけではありません。「都合の悪い質問」も別にありません。ご質問によっては観点がJW特有の前提がすでに入ってしまっているため、それにそのまま答えても私の考えを理解していただけないと思うものがあるからです。

本スレでの質問には、JWの観点抜きでお尋ねしたものがあります。
「王国がきますように」の不正引用の点で、
あなたがそのページを読んでたなら、まずその箇所は出さんだろうに。
構造以前のことです。

>私は基本的に「調べてないうちから」断定するのは
>避けるようにしているつもりです。・・・

もうやめちゃったのですか?

>進化が信じるものでないことは、
>もう十分すぎるほど説明がなされたはずです。・・・
>進化論は事実を問題にします。

ごめんなさい。私は進化は創造と同じく、信じるものだと思いますよ。
あなたが創造論に対して感じるのと同じく、
これは「保証された期待」と似たものです。
人を造った創造者がいるかどうかへの確信が関係しますが。

> > 罪が広まったのは、アダムとエバからということ。
> > エバを欺いた蛇には、刑の宣告と、胤の到来が語られたこと。
> > マタイとルカの系図は、約束の胤の資格を示すこと。
> > アダムに対応する購いとしてイエスが地に来たこと。
>
>まず、あなたは聖書を神からの言葉として絶対的な権威をそこに見、
>その書物が言っているからということでこれを受け入れていると
>思います。ところが、昔の人たちの認識はそうではなかったのです。

旧約39巻がすべて受け入れられるまで、
モーセ五書に対してイスラエルは懐疑的だったんでしょうか。
答えは、いいえです。
イエスはどうでしたか。
聖書以上に口頭伝承を重視するパリサイ派に対して、
権威としてモーセ五書を引き合いに出し、
律法の意図と精神をはっきり示しました。

>2000年も前の言葉を自分の今の感覚の意味で読んでしまっては
>その真意は汲めないことの方が多いのです。

進化論の感覚を受け入れてしまうと、
基本的に聖書が教えている教理の真意を退けることがあります。
内村さんご自身、それは自覚なさってるかと。


[704] Re: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:内村 投稿日:2004/02/10(Tue) 23:42

最初に。私は現在JWではありません。自然消滅を既に果たしています。

> 進化論を事実とみなす内村さんは、
> 罪の購いの教えをどこまで信じられるでしょう。

あなたは自分が罪びとであると自覚する理由は、「アダムがかつてエデンの園で罪を犯したから」なのでしょうか?別の問い方をすれば、「アダムが過去に罪を犯していなければ今の自分は罪びとではない」のでしょうか?キリストの贖いを信じるある人たちにとって、自分の罪を自覚させるのは創世記の記録ではありません。たとえばあなたは、「この私がイエスを磔にし、殺したのだ」と自覚し、悔い改めてクリスチャンになる人が今日もいることをどう思われるでしょうか?彼らがどうしてそう考えるかを理解されるでしょうか?そういう人たちは「聖書にこれこれと書いてあるから」というアプローチはとっていません。どこまでも「自分の罪」の問題なのです。アダムのせいではないのです。そういう人たちにとってキリストは、自分と真正面に向き合う人格です。「自分がイエスを殺した」という自覚で贖いを捉えるクリスチャンに出くわしたとき、私はキリスト教を見た気がしました。どっちが正しいとかではありません。そういうことは意味がありません。ただ言えることは、自分がJW時代に教えられてきた「贖い」の教えとは根本的に異なる信仰のあり方があるのだという事実です。そういう信仰もあるのです。そういう人にとって進化論はなんら問題になりません。進化の結果として自分が存在していようがいまいが、今生きる自分が神の前に罪びとであるこの自覚が変わることはないからです。自分にキリストの贖いが必要であることは少しも変わらないのです。

> ごめんなさい。私は進化は創造と同じく、信じるものだと思いますよ。
> あなたが創造論に対して感じるのと同じく、
> これは「保証された期待」と似たものです。
> 人を造った創造者がいるかどうかへの確信が関係しますが。

どんな主張にせよ、相手の言う内容を誠実に吟味しないうちから否定する人と建設的な話ができるとは思えません。聖書を読んだことのないうちから「聖書は間違っている」を繰り返すだけの人と聖書について建設的な話をすることは期待できません。あなたが私の書き込みをきちんと読んでくださった上でご自分のご意見なりご質問なりを発しておられるとは思えません。そうした対話は空しいだけです。

特に掲示板では、教理問答は科学的議論以上に生産的な議論ができません。その手の話をしてどちらかが意見を変えたのを私は見たことがありません。ですから、私もその手の議論を掲示板でしたいとは思いません。あなたの中では自分なりの結論があるように思います。それはそれで良いのではないでしょうか?私が最初に述べた「別に止めはしない」とはそういうことです。

私としては事実を否定しなければ維持できない信仰を持ちたいとは思えなかっただけです。その証拠に進化を否定する人はほとんどが進化について誠実な勉強をしていません。相手のことを理解しようとしないうちから自らの価値観で否定したり肯定したりするのは、差別の構造と全く同じです。

> 私の質問の仕方が悪かったですね。
> 神の側から、だれかその人を「愛している」と言うことがあれば、
> その言葉は第三者が事実として認めてもいいのでしょうか、
> ということです。内村さんはそれを受け入れますか?

この手の質問に一般的に答えることにほとんど意味を見出せません。そのときの具体的な状況のときに各自が判断すればよいでしょう。

> 本スレでの質問には、JWの観点抜きでお尋ねしたものがあります。
> 「王国がきますように」の不正引用の点で、
> あなたがそのページを読んでたなら、まずその箇所は出さんだろうに。
> 構造以前のことです。

あちらのスレッドの話ですか。あちらでは私は協会の不誠実さ・不正直さを引用を例にいくつも示しました。あなたが協会を擁護するのは全くあなたの自由です。しかし、5件の詐欺事件を起こしたとして訴えられたクリスチャンに、「実は4件しか起こしていない」と威張られても困惑するだけです。そもそもクリスチャンとしての姿勢を問うているのですから。クリスチャンが出す公の文書にそのような操作はひとつとしてあるべきではないでしょう。「間違えて」することではないのですから。特に科学的内容への不誠実さが至る所に見られるのは変えることのできない事実です。

> 進化論の感覚を受け入れてしまうと、
> 基本的に聖書が教えている教理の真意を退けることがあります。

あなたは「聖書が教えている教理の真意」をきちんと理解しておられるようですから、それを信じていけばよろしいのではないでしょうか。JWに無事復帰できるといいですね。


[708] Re^2: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:元信者です 投稿日:2004/02/11(Wed) 03:15

>事実を無視した信仰は痛々しく映ります。
>進化を否定する教理について言えば、
>私としては科学的無知に依存しなければ
>維持できない信仰を持ちたいとは思えなかっただけです。

人間の罪の贖いに関する教理は、根本的に進化を否定しますね。
でも、聖書は「神を指し示す」と内村さんは仰いましたね。
聖書によってご自身が「神との絆」も築いているとも。
一連の投稿を読んで、この点で内村さんにとても興味がありました。

> > 私の質問の仕方が悪かったですね。
> > 神の側から、だれかその人を「愛している」と言うことがあれば、
> > その言葉は第三者が事実として認めてもいいのでしょうか、
> > ということです。内村さんはそれを受け入れますか?

>この手の質問に一般的に答えることにほとんど意味を見出せません。
>そのときの具体的な状況のときに各自が判断すればよいでしょう。

聖書に出てる場合の例です。
イスラエルを愛した、とか、この者を是認したとか・・・その他。
「客観的」と「実存的」って、
簡単に片付けられない問題なのですよね。

>あちらでは私は協会の不正引用をいくつも示しました。
>いずれも確認済みです。

「来ますように」の囲みは、「現代史の転換点」を裏付ける引用としてのものです。
「現代史の転換点」ではない、というものは引用してませんね。
引用されなかった革命時代の部分を省いても、付け足しても、
現代史の中の転換点としてのその年は、指摘されています。
この分脈は、不正引用とはいえないことを示します。

>しかし、5件の詐欺事件を起こしたとして捕まったクリスチャンに、
>「実は4件しか起こしていない」と威張られても・・・

誰かが5回したことを詐欺だと「思って」訴えるために、
その人の反対者が、あえてそれを上回る事を5回、
あるいはさらに何度もしてるとしたら、どうでしょうか。

私は、その問題の根本として、
人を創造の産物とする基本的な聖書の教えやその神が詐欺なのか、
にも目を向けてみます。

>JWに無事復帰できるといいですね。

ありがとうございます。

論議には、そろそろ区切りつけてもいいかもしれないですね。
以後、内村さん個人への私の気持ちを。

内村さんがJWに戻りたいと思うことはないかもしれないですが、
昔の良い経験や悪い経験を、マイナスにでなく、プラス思考で生かしてほしいです。
そうされてるのは分かるのですけど、
文章の節々から、そうでない気持ちも多々汲み取れる・・・気がします。


[710] Re^3: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:内村 投稿日:2004/02/11(Wed) 11:02

> 「来ますように」の囲みは、「現代史の転換点」を裏付ける引用としてのものです。
> 「現代史の転換点」ではない、というものは引用してませんね。
> 引用されなかった革命時代の部分を省いても、付け足しても、
> 現代史の中の転換点としてのその年は、指摘されています。
> この分脈は、不正引用とはいえないことを示します。

そんなに理屈をこねる必要はないでしょう。協会が「フランス革命と同じくらい第一次世界大戦が歴史の転換点だった」ことを言いたくてあの記事を書いたのかを考えれば一目瞭然です。

> 誰かが5回したことを詐欺だと「思って」訴えるために、
> その人の反対者が、あえてそれを上回る事を5回、
> あるいはさらに何度もしてるとしたら、どうでしょうか。

私のことであれば、ぜひそのことを明らかにして示していただければと思います。引用元も書いてありますので確認することは難しいことではありません。

> 内村さんがJWに戻りたいと思うことはないかもしれないですが、
> 昔の良い経験や悪い経験を、マイナスにでなく、プラス思考で生かしてほしいです。
> そうされてるのは分かるのですけど、
> 文章の節々から、そうでない気持ちも多々汲み取れる・・・気がします。

ありがとうございます。私は今はもう協会に恨みのような気持ちは抱いていません。教理に対しては「ハルマゲドンが来るといいね」というような距離感があります。本人が後悔しない人生を歩めればそれでいいとも思いますが、間違っているところは知っておいてもらいたいと時々思うこともあるくらいです。


[707] Re^2: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:元信者です 投稿日:2004/02/11(Wed) 03:14

>「この私がイエスを磔にし、殺したのだ」と自覚し、
その信仰の姿勢は本当に真摯なものですね。
しかし、「わたしがイエスを磔にした」という言葉は、
イエスを磔にしたという『罪』を贖うために、イエスは磔にされたと言っているのですか?
むしろ、それは「こんな私の『罪』のためにイエスは死んでくださったのだ」(JW調に)
ということの劇的な感情表現に他ならないのではないかと思います。

あえてお尋ねしますが、
その人は、アダムの創造やそこからの罪の始まりという教えを退けていますか?

>特に掲示板では、教理問答は科学的議論以上に
>生産的な議論ができません。
>その手の話をしてどちらかが意見を変えたのを
>私は見たことがありません。

私は同じ元二世であるあなたの考え方を幾らか理解できたので、
幾らかの収穫があったと思います。

なぜJWの組織を離れる人がいるのかというのが、本スレのタイトルでしたね。
離れる直接の原因ではなくとも、人が組織から離れるときに、
どんなことを考えたり、また考えにくくなるのか、少し分かりました。

>あなたの中では自分なりの結論があるように思います。
>それはそれで良いのではないでしょうか?

そうですね。内村さんも、きっと硬い確信をお持ちですね。


[709] Re^3: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:内村 投稿日:2004/02/11(Wed) 10:38

> その信仰の姿勢は本当に真摯なものですね。
> しかし、「わたしがイエスを磔にした」という言葉は、
> イエスを磔にしたという『罪』を贖うために、イエスは磔にされたと言っているのですか?
> むしろ、それは「こんな私の『罪』のためにイエスは死んでくださったのだ」(JW調に)
> ということの劇的な感情表現に他ならないのではないかと思います。

そうではありません。自分がイエスを目の前にして同じ時代に生きていたらやはりイエスを殺そうとしただろうという絶望です(聖書に厳格だったパリサイ派のように)。もしくは、殺されるイエスを見殺しにするだろうという絶望です(弟子たちのように)。そして、自分がイエスの贖いを必要とするということは、自分もイエスを殺さなければならない存在だということを認めることです。この「自分の罪の自覚」という意識がJWとは根本的に異なっていると私は実感しました。

> あえてお尋ねしますが、
> その人は、アダムの創造やそこからの罪の始まりという教えを退けていますか?

別に退けてはいませんよ。というか、私も別に退けてはいませんよ。客観的事実ではないだろうといっているだけです。詩的に理解することだって十分可能です。特に男性であれば、自分をアダムに重ねて考えたとき、やはり多かれ少なかれアダムと同じように行動しただろうという自分の中の「罪の性質」に気づくわけです。JWとの根本的な観点の違いはそうした人はどこまでも「自分の罪の問題」を見ており、JWは「人類の罪の問題」を見ています。個人的に神と向き合うようになりやすいのはどちらか、他人を裁いてしまいやすいのはどちらか、聖書に客観的事実を求める必要性を抱えるのはどちらか、だいたいお分かりいただけたでしょうか。


[715] Re^4: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:元信者です 投稿日:2004/02/12(Thu) 20:39

>協会が「フランス革命と同じくらい第一次世界大戦が歴史の転換点だった」
>ことを言いたくてあの記事を書いたのかを考えれば一目瞭然です。

引用元は、フランス革命を常識的に歴史の一大転機として捉えた人の文ですね。
JWのような預言解釈をしていないこの人にとって、
その事件ほどに、第一次世界大戦は大きな出来事のようです。
反対に、フランス革命の悲惨さに比べ第一次世界大戦時の影は薄い、
だから1914年は特別な年ではないと考える人は今でもいます。
協会が「来ますように」の本この引用を含めたのは
常識的な選択で、また反対者にとっても意味のあることと思います。
もっとも協会は、ガンズの現代史の部分のみを正しく紹介しています。

>私のことであれば、ぜひそのことを明らかにして示していただければ・・・

内村さんはそのようなページを経営されてますか?
されてたら突っ込みますよ。(笑
内村さんが、思いの整理ついてたようで、少しほっとしました。
色々と考えていた時期もあったでしょうね・・・。

>この「自分の罪の自覚」という意識が
>JWとは根本的に異なっていると私は実感しました

新約で創世記から罪と贖いの事を多く諭しているのは、パウロですね。
彼はクリスチャンになる前の罪を深く悔いたものの、
贖いの希望があったので絶望に浸ったままではありませんでした。
またイエスの追随者を殺したり見捨てたりはしませんでした。

自ら罪びとである男性の中には、ヨブのように問題に直面しながらも、
配偶者からの圧力に耐えたり、異性からの誘惑を退けた人たちもいます。
そうした人たちへの贖いの益にも感謝できます。

>> その人は、アダムの創造やそこからの罪の始まりという教えを退けていますか?
>別に退けてはいませんよ。というか、私も別に退けてはいませんよ。
>詩的に理解することだって十分可能です。

その場合、アダムは土が関係しますよね。
エバがアダムのあばら骨から造られた、というのは、
何か意味があるんでしょうか。


[726] Re^5: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:内村 投稿日:2004/02/15(Sun) 15:27

> 内村さんはそのようなページを経営されてますか?
> されてたら突っ込みますよ。(笑

いや、そうじゃなくて、本スレで取り上げた他の引用例についてです。そこでの私の主張が詐欺的行為かどうか明らかにしていただければということでした。

> その場合、アダムは土が関係しますよね。
> エバがアダムのあばら骨から造られた、というのは、
> 何か意味があるんでしょうか。

安易に定性的な意味を求め、その意味の体系で世界を認識する作業は歴史を通じても(また現代でも)広く見受けられてきました。そういうのはいかようにでも言えてしまうので、僕としては考えることにそれこそ「意味」が見出せません。

ま、それだけです。


[728] Re^6: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:元信者です 投稿日:2004/02/15(Sun) 18:12

内村さん、忙しい中ありがとうございます。

>本スレで取り上げた他の引用例についてです。
>そこでの私の主張が詐欺的行為かどうか明らかにしていただければ

>「(*三位一体)は人間の理性では把握できないと考えられている」

"<the Trinity is considered to be> beyond the grasp of human reason."
内村さんによれば、この事典の注解は、
三位一体の教えが一般の人から把握できないと思われてることを
指摘していますね。協会もそのことは否定していません。

内村さんの言うような対立しているものがここにあるとすれば、
それは、一般の人と事典の筆者との考え方です。
そしてこの冊子は、上のような一般人の側の存在を紹介するのに、
「このような混乱は広く見られます」という前置きをしています。
公式サイトのトップから英文記事たどると本意分かりやすいですよ。

>「意味」が見出せません。

了解しましたー。


[730] Re^7: 自分を罪びとと感じることについて 投稿者:内村 投稿日:2004/02/15(Sun) 19:05

> 内村さんの言うような対立しているものがここにあるとすれば、
> それは、一般の人と事典の筆者との考え方です